日記1999年11月09日

お昼にイタリア料理を食べに行く。いつものようにカウンタに座ってパスタランチを頼む。窓ガラスには斜めに交差する縞模様が入っていて、店の隣の公園の景色が印象派の絵のように見える。古いソウルミュージックのCDがかかっている。僕の前に自家製の唐辛子入りオリーブオイルの瓶と削りたてのパルミジャーノが入った鉢が置かれる。

まずミネストローネが来るのだが、スープはパスタと同じ範疇じゃないのかといつも思う。アンチパストは色々なものがちょっぴりずつで、おいしいけど少なすぎるなあといつも思う。アサリとベーコンのトマトソースも少ない。唐辛子入りオリーブオイルもパルミジャーノもうまいのでたくさんかける。コーヒーを飲む。1000円は安いけど、12時から1時の間に僕を含めてランチの客2人とコーヒーの客1人だった。大丈夫か?

公園を歩く。銀杏並木が見事に黄色くなっている。遠足の小学生たちが木陰で弁当を食べようとしている。駅で電車を待つ間、新幹線の時刻表を見る。10分ほど電車に乗って降りる。駅前の本屋で雑誌を立ち読みしていると村上春樹の短編「かえるくん、東京を救う」(だったっけ?)が載っていたので読む。

一度家に帰り、宅急便を送りに酒屋へ行ったついでにベルギービールを3本買う。寒くなったら濃いビールの季節である。また家に帰り、ブリリアントグリーンのCDをかけて事務的な手紙を書いてファクスで送る。しばらくすると相手から電話がかかってきて、会社サボってないで真面目に仕事しろと説教される。トライセラトップスを聴きながら流しの食器を洗い、お米を3合といでガス炊飯器にセットする。

夕刊を読んでから、ビートルズのラバーソウルをかけてマックで文章を書いていると奥さんから電話があり、残業するので子供たちを迎えにいって欲しいと言う。自転車で子供たちを迎えにいく。タコヤキ食べたいとかコンビニ行きたいとか言う奴等をなだめつつ帰る。僕が「ファディファディファディファディ!」と言うと娘が「ヤー!」と言う。テレタビーズのポーの真似である。それから娘の大好きな「MOTHER」を歌う。息子が2才の時に保育園の同級生の間で大流行していたのは「これが私の生きる道」だった。奥田民生の曲の良さは2才の子供にも判るようである。僕にも判る。