夕食問題2007年06月01日

会社を辞めて1年になる。ということはつまり僕が平日の晩御飯を用意するようになって1年経つわけである。僕はもともと多少は料理ができるつもりだったのだが、気が向いた時に好きな料理を作るのと、毎日毎日献立を考えて食事の用意をするのとは全く違うのだった。

毎日やるとなると、レパートリーを広げなければならない。揚げ物なんかは要領が判らず苦手だったが、料理の本や冷凍食材の袋に書いてある説明を読んで何とかやるしかない。焦げたところは削り、生焼けだったら電子レンジで火を通す。毎日夕食を作るのがこんなに大変だとは思わなかった。

気が向いた時にやるのは趣味=アマチュアで、毎日やるのはプロフェッショナルである。プロというのはアマより高い成果を出すものではない。毎日安定した仕事を続けることができるのがプロだ。1年でプロとして一人前になれるわけもないが、なんとかひととおりのことはできるようになったような気がする。

ところで、そうやって苦労して夕食を作って待っていても、奥さんが残業で遅くなることも多い。そういう時は子どもたちと先に食べるわけだが、大げさにいうならばこれは会社による生活の破壊である。奥さんが帰ってきて、冷めた料理が電子レンジで温めなおされるのは悲しい。去年までは僕がそうしていたのだが。

昔、村上春樹が半年間主夫をやった経験を書いていて(「村上朝日堂の逆襲」)、世の中の男性は一生のうちに半年か一年くらい主夫をやってみるべきではないかと言っているが、これはなるほどそのとおりだと僕も思う。我々は今の社会を主夫(婦)の視点から見直すべきである。

「愉しい非電化」 藤村靖之2007年06月04日

僕は電気を使うことに罪悪感がある。我々が電気を使うには発電所で石油やウランを焚かなければならないが、石油もウランもいろんな意味で清廉潔白とはいい難い燃料だからだ。しかしその罪悪感に殉じて電気を使わない生活に移行するほどの根性もない。極力エアコンを使わないようにしている程度である。

非電化製品なるものを発明して非電化工房というところで販売もしている人がいると新聞で紹介されていたので、その人の本を読んでみた。電化製品に比べると非電化製品の便利・快適度はやや劣るが、そのかわり環境にも健康にもよいのだという。このへんの考え方はだいたい共感できる。電化製品の電気の使用量についても具体なデータとともに詳細に説明してあり、電化製品というのがいかにエネルギー効率の悪いものであるかということも、改めてよく分かった。

この人の発明の中で一番すごいのは何といっても「非電化冷蔵庫」だろう。水をちょろちょろ流して気化熱で冷える仕組みかなと思ったが、そうではなかった。簡単にいうと、断熱材で覆われた箱の天面から夜空に赤外線を放射することで内部が冷えるという仕組み。真夏の昼でも7~8℃に維持できるという。絶対零度に近い宇宙空間の冷たさによって冷えるわけで、太陽熱温水器の逆である。そんな面白いことがホントにできるのかと思うが、実際に44000円で販売しようとしているし、モンゴルの遊牧民にも技術を提供している。すごいなあ。

年金問題2007年06月08日

昨今大騒ぎの消えた年金問題は本当にひどい。でも社保庁がひどいことをやっていたのは昔からである。なんで今になって急に盛り上がってきたのだろう。それは社保庁を解体する話と関係があるんじゃないのか。

年金が消えたり宙に浮いたりしていることは今までの政府もわかっていたが、それが明るみに出ればこういう大騒ぎになるのでフタをしてきた。そして今の政府はこの問題にフタをしたまま社保庁を解体して消えた年金もチャラにしようとしていたのだと思う。その後でいくら「年金が消えてるじゃないか」と騒いでも、「えー、それは解体された社保庁の問題ですから、もうどうしようもないわけで、あります」とか言って済ますというわけだ。

他方、社保庁の側は解体されてはかなわないので、「いや年金は消えたわけじゃなくて、未処理のデータがほらこんなにたくさんあるんだぞ。我々をクビにしちゃったら何が何だか余計にわからなくなるぞ。」と開き直って自らフタをはずしてしまったのだろう。

実際、今このまま社保庁を解体するのはトカゲのしっぽ切りで、しっぽと一緒に消えた年金もチャラになってしまう恐れがある。かといって温存するのも無責任だ。とりあえず高級官僚の皆さんは過去にも遡って何らかの罰を受けていただくとして、現場の方々は給料を大幅に返上したうえで、がんばって正しいデータを作成するしか解決方法はないだろう。

さて、僕が年金をもらえるのは順調にいっても20年も先だし、それまで年金制度が無事に存続しているのか怪しいし、自分が生きているかどうかも不明である。でも、自分の年金記録がどうなっているか一度確認してみることにした。

社保庁のサイトを見ると、まず基礎年金番号を入力してIDとパスワードをもらうようになっている。去年会社をやめた時に返してもらった年金手帳を見ると、基礎年金番号の通知書が貼ってある。その番号と名前生年月日その他を入力したら、2週間後に郵便でIDとパスワードが送られてきた。

そのIDを入力して年金記録を照会すると、僕の加入状況は正しく記録されていることがわかった。20年同じ職場にいたのだが、社名変更やら分社化やらで4回も会社が変わっていることになっていた。会社を辞めてから加入した国民年金の記録もちゃんとある。これでひと安心...なんだろうか? この電子記録は地震や雷や火事やお役人の管理不行き届きによって消失することはないのか?

年金システムへの信頼がこれだけ崩れてくると、また年金を払わない人が増えたりするかもしれないが、将来もらえないとしてもとりあえず払っておくメリットはある。厚生年金や国民年金をちゃんと払っていると、死んだ場合に遺族年金が出たり、障害を持つと障害年金がもらえたりするからだ。

会社員じゃなくなると、年金も健康保険も税金も急に自分で直接払うようになり、いろんな制度を調べたのだが、知らないことが多かった。こういう社会制度はちゃんと中学くらいで教えるべきだが、とにかく制度がややこしすぎる。年金も健保も税金に一本化してもっとシンプルにする必要があると思う。

フリー2007年06月17日

最近、家で仕事をするようになった。仕事の内容は会社をやめる前とだいたい同じだが、今はサラリーマンじゃなくてフリーランス・エンジニアである。小さな会社をやっている友人から注文を受けて図面を書いている。僕は20年前に就職したばかりの頃から(いや、よく考えたら就職する前から)、フリーランスに憧れていたのだ。

村上春樹も彼の小説の主人公も探偵スペンサーも奥田民生もイチローもみんなフリーランスだ。自分のスタイルを保つこととフリーランスであることは同義であるような気がする。

僕は会社を辞めた時点で「フリー」になったのではあるが、仕事をしないとフリーランスとはいえない。仕事をもらえるようになったおかげで、僕もフリーランスといえるようになったわけである。嬉しい。

サラリーマンと比べてフリーランスの良いところはいろいろある。仕事のペースは自分で決められるし、音楽や野球中継を聴きながら仕事ができるし、アホらしい会議に出なくて良いし、無意味な書類を作る必要もないし、上司や部下と成果主義の面談をしなくて良い。転勤も通勤も無い。「ゲゲゲの鬼太郎」の世界だ。僕がサラリーマン時代に望んでいたことが一挙に実現してしまった。

昔アルビン・トフラーが「電子技術の発達によって家で働く人が増えるだろう」と書いていて、早くそうなったら良いなと思っていたが、やっとそういう時代が来た。パソコンとインターネットのおかげである。

ビリーズ・ブートキャンプ2007年06月23日

うちの奥さんの同僚が2週間前に「ビリーズ・ブートキャンプ」DVD(ビリーバンド付き)を買って、今のところ毎日続けているらしい。4枚あるDVDのうちの基本編を貸してくれたので、超運動不足の僕もやってみた。1時間くらいのプログラムである。

フィットネスに詳しくないので、身体の使い方に目新しさがあるのかどうかはわからないが、評判どおりビリーの語りは面白い。結構激しい動きなので、ついていくだけでもきついのだが、ビリーが励まし鼓舞してくれるおかげで何とか続けられる。ビリーがラップのようなリズミカルな声でずーっとしゃべっているのを聞いていると、段々洗脳されそうになってくるのだ。

ビリーは「自分を変えるには意識を変えるんだ!」みたいなことを盛んに言う。単調なリズムと激しい運動でやや朦朧としてきたところに意識改革を吹き込むのは洗脳の基本である。しまいには愛がどうとか神の祝福とか言い出すし。これはちょっとTV宣教師的である。

などと考えつつ、30分くらいは何とかこなしたのだが、そこからは「もうだめであります、隊長」「あきらめちゃだめだ! 自分のできる範囲で続けるんだ!」という感じで休み休み続けるが、45分までいったところで脱落した。

何年かぶりに運動して汗だくになり、シャワーを浴びたらスッキリして気分は良い。全身が筋肉痛になったが、特に効いたのは太腿の裏側。腹筋は大したことないな、と思ってよく考えたら腹筋運動のあたりでダウンして見学していたのだった。

まあ面白かった。続けようとは思わないが、いろいろな運動を教わったのでたまには身体を動かそう。応用編があと3枚もあるらしいけど、僕は遠慮します。

「ベートーヴェン ピアノソナタ #8,14,23 (悲壮・月光・熱情)」 グレン・グールド2007年06月27日

クラシックを聴きかじっているうちに、だんだんピアノ曲ばかり聴くようになり、さらにグールドが気に入って次々にCDを買っている。ルービンシュタインさんの「ベートーヴェン ピアノソナタ」が気に入らなかったので、どういう風に違うか聴き比べてみた。

いつもながら、曲によって極端に速かったり遅かったりする。ルービンシュタインとは演奏時間が±30%くらい違う。一見、グールドが変なことをやっているようだが、グールドの方が細部をキッチリ弾いていて安定感がある。グールドの特徴はこの安定感だと思う。

この安定感はもしかすると科学的に証明することができるかもしれない。グールドの演奏の一音一音を解析して、打鍵のタイミングや音量のばらつきを測定すると、他の人の数分の一程度でした、という結果が出るような気がする。つまり演奏能力が桁違いに優れているのではないか。演奏フォームも変則的だし、イチローみたいなものか?

他の多くの演奏家が曲に入り込んで曲との距離をゼロにしようと努力しているのに対して、グールドは自分の意識を曲から一定の距離に保ち続けているような気がする。そうすることで、この安定感が生まれるのではないか。文章に喩えると、普通の演奏家は叙情的リアリズム文体で、グールドはハードボイルド文体である。