鎌倉 ― 2009年01月14日
先週鎌倉の伯父が亡くなったので葬儀に行った。神奈川県というのは横浜以外行ったことが無くて土地勘が全くない。伯父の住所をグーグルマップで検索して、近くの道路のストリートビューを見ると結構鄙びたところだ。
新横浜から横浜線、横須賀線を乗り継いで行けば良いようだ。神奈川県鉄道路線図の下の方を印刷して持って行く。7時に家を出て11時に告別式会場に着いた。伯母と話す。伯父は若い人と哲学的な話をするのが好きだったとのこと。告別式は身内だけで落ち着いたものだった。読経のときの木魚がかなり大きな音で胸に響いた。
マイクロバスに乗って火葬場へ移動する。天気が良くて暖かく気持ちが良い。伯父さんの招きで観光に来たと思って、鎌倉市内の景色を見る。鶴岡八幡のあたりに観光客がたくさんいる。鎌倉って小さな街だったんだなあ。伯父の骨を拾ったあと、北鎌倉の「鉢の木」に行って精進料理の会食。
店に入るとき、肩に塩を振られ柄杓の水で手を清めろと言われた。これは客へのサービスなのか、店にケガレを持ち込ませないための自衛なのか。伯父が亡くなったことは残念だが、「穢れ」は感じないのでやや不快である。
北鎌倉駅で新幹線の指定席を取ろうとすると駅員の手際が悪くて時間がかかる。20年振りに会った従兄弟と新横浜まで話す。早く着いたので指定席を取り直そうと思って窓口に行くと、「既に一度切符を変更されているので2回目は3割の手数料がかかります、勿体無いのではないですか」と言われた。あきらめて20分待つ。
のぞみに乗ってiPodで何を聴こうかと考える。鎌倉ということでサザンの「稲村ジェーン」にする。養老先生が鎌倉に住んでいるとか、村上春樹さんが藤沢に住んでいたというイメージもあるが、僕にとって湘南地方は「有名な架空の場所」のようなものだった。でも今日一日で身近になった。伯父の形見だ。
新大阪でiPodの電池表示がギリギリになったので、コートのポケットからズボンのポケットに移して手で温めたら表示が1ミリくらい復活した。それから1時間、我が家が見えるまで帰ったところで音楽がぷつんと切れた。
IKEA ― 2009年01月26日
先週、奥さんの会社が臨時休業だった平日にイケアに行こうということになった。場所は大阪の離島、大正区の海辺。搬入口には貨物コンテナが数台突っ込んでいる。大阪港に輸入されたコンテナがトレーラーに引かれて5分ほどでここまでやってくるわけである。国内物流コストはゼロに近い。要するに港湾倉庫に車で家具を買いに来いという店。
スウェーデン資本ということで北欧風に小洒落た店内は広い。ショールームエリアが順路になっていて全部見て回ると2、3時間かかる。安くてデザインはそこそこ、質感はそれなり。H&Mの評判と大体同じ。
結構安いのでユーロ安のせいかなと思ったがよく見るとどれもMade in China。あのコンテナはスウェーデンじゃなくて中国から来たのだ(それにスウェーデンの通貨はユーロじゃなくてスウェーデンクローナ)。なるほどそういうビジネスモデルだったのか。何でもセルフ方式にして人件費を抑えているから日本国内で仕事をあまり生まない。
小さいファイル棚が欲しかったのだが、なんかチャチなのとどっしり重いのしかなくて残念。最後に倉庫エリアがあって、ショールームエリアで決めた商品を自分で探し出すことになっている。倉庫エリアの天井高さは10メートルくらいある。地震が起きたら上の方の棚の商品が落ちて大変なことにならないのだろうか。
結局奥さんがハンガーとかトレーとか安い小物をいろいろ買った。昼食にカフェでサーモンパテのベーグルを食べた。味はカルフールの方が美味い。会員カードを見せるとコーヒーがタダで飲み放題というのは良い。
e-Tax ― 2009年01月28日
確定申告の季節になった。今年はe-Taxという電子申告システムを使うことにした。e-TaxにはICカードリーダーと公的認証カードが必要で、それに4千円くらいかかり、その代わり税金が5千円戻ることになっている(去年と今年だけ)。カードリーダーは通販で安いのを買う。公的認証カードは市役所に行って住民基本台帳カードと兼用のものを作った。
さて、国税庁のサイトで手続きを始めてみると、これはもうとんでもなくややこしい。ソフトウェアをたくさん入れて、いろんな設定をしなければならないうえに、サイトの構造もインターフェイスも最悪である。本当に酷い。
3歩進んで2歩下がる調子で苦しみつつ3日くらい試行錯誤した。途中で何度も諦めそうになったが、我ながら驚異的な忍耐力で粘り抜き、とうとう公的認証カードの暗証番号を入れるところまで来た。ところが、うろ覚えの番号を入れているうちにカードがロックされてしまい、解除するには市役所に行かなくてはならないのだった。しかしここでやめたら余計くやしい。自転車で市役所まで往復して良い運動になった。
最後まで辿り着けるかどうか不安だったので、何とか申告を済ませたときにはほっとした。紙の書類だったら30分もあったらできる作業なのに、なんでこんなに苦労しなくてはならんのか。初期設定の類は終わっているから次回はもうちょっとラクにできるのだろうか。来年は紙で済ませるか迷うところだ。
申告した所得税を銀行に納めに行こうと思ったが、説明をよく読むとネットバンキングで払えることが分かった。でも、やってみると4種類の番号を入力しなくてはならない。国税庁のサイト内を検索してみると、e-Taxソフトでいろいろやって番号をもらうようになっていることがわかった。税金を振り込むのは手数料はいらないようで、これは便利。
「もうひとつの視覚」 メルヴィン・グッデイル / デイヴィッド・ミルナー ― 2009年01月31日
「知覚のための視覚」を失うと、モノの色や表面状態は判るが、形が判らない。形は判らないが、モノをつまむなどの動作には全く支障がない。つまり「知覚のための視覚」とはモノの位置や大きさと無関係に形を知る機能である。
「行為のための視覚」を失うと、モノの形ははっきりと判るのに、それをつまみあげるときには手探りをしているかのように苦労する。つまり「行為のための視覚」はモノの形と無関係に位置や大きさを知る機能である。
「知覚のための視覚」は我々がテレビを見るときに使っている機能で、物体の位置や大きさは相対的である。だからテレビ画面のサイズが違っても問題はなく、形の情報(例えば人の顔)は時間が経っても保持される。しかし自分の身体の動きと無関係な相対座標系の情報なので行為の役に立たない。
「行為のための視覚」は自分の身体を中心とする座標系を用いていて、絶対的な位置や大きさが必要である。身体を動かせば刻々と情報が変化するので一々意識していられないし、記憶にも残らない。
ではなぜそのような二種類の視覚があるのか。我々は「知覚のための視覚」によって考え、その考えを実行するには「行為のための視覚」を使うということのようである。僕の言い方だと「我々は現実世界と自分の中にある仮想世界に同時に存在しているからだ」ということになる。当然のことながら「行為のための視覚」の神経経路は「感覚運動制御器官(橋、上丘、小脳など)とも連絡している」とのこと。
著者は二種類の視覚の協調を説明するために遠隔操作ロボットの話をしているが、僕も人間の「大脳-小脳システム」が遠隔操作ロボットと同様の構成だと考えていたので、我が意を得たりである。
”私たちの「見る」ものの多くは、そこにあるものについてのもっともありうる仮説にもとづいた内的創造物なのである。” という一節も僕の「我々は眼でものを見ているのではないと全く同じことを言っている。小脳論的世界観はどんどん科学的に裏付けられつつあるようだ。
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