原発問題2011年04月23日

僕は昔から原子力発電に反対だが、その主な理由は使用済み核燃料の処分ができないことである。電力会社は「電気はクリーン」だと宣伝をするが、僕は使用済み核燃料がクリーンだとは思えないので、電気を使うことに後ろめたさがある。だから、僕の仕事部屋には冷暖房が無くて、去年の夏には一度熱中症になってしまった。深夜電力は余っていると言われたって、深夜電力は原子力の比率が高いから、寝るときも冷暖房は使わないようにしている。

それにしても、使用済みの燃料があんな風に剥き身で原子炉建屋のプールに漬けてあるとは知らなかった。処分の方法が無いから貯めてあるのだ。あの実態が判っただけで原子力発電はすぐにでもやめるべきだとハッキリしたはずだが、どうもそういう世論になっていない。原発については今まで議論が抑えこまれてきたせいで、なかなか話のピントが合いにくい。

福島第一原発事故についても、津波で電源を失ったことが一番の問題であるかのようにいわれているが、それは間違いだろう。この事故のキモは、最初の地震で配管が壊れてしまったことだと思う。配管が壊れたから、冷却水が漏れて核燃料が露出してしまい、そのために発生した水素も漏れて爆発し、放射能汚染水も漏れて大変なことになっているわけである。各地の原発で津波対策と称して予備電源を確保するなどと言っているが、電源が無事でも配管が壊れたら今の福島第一と同じ事態に至るのではないか。全国の原発で配管の耐震性を緊急に検証して、震度7に耐えられない原発はすぐに止めるべきだ。

原発の安全性については、関電や電事連の「5重の安全」などという宣伝を僕も少しは信じていた。何しろ深刻な事故が起きたら電力会社自身が今の東電のように致命的なダメージを受けるわけだから、安全性は我がこととして真剣に考えるはずだ。でもその考えは甘かった。電力会社の人たちは、「大した地震は来ない」という賭けに有り金全部を張っていたのだ。その賭けに勝っている間は電力会社が儲かり続け、負けた瞬間に税金や電力料金にツケを回すというビジネスモデルである。これはヒドイ。しかも、各電力会社はこの期に及んでも、まだその仕組みを続けようと思っているようだ。「東電みたいになりたくないから原発は止めよう」と考えないのが不思議だ。

電力会社に限らず原子力を容認する人は、CO2を出さないから温暖化防止になるというのだが、本当に温暖化しているのか、本当にCO2が温暖化の原因なのかという点に疑問がある。原発を止めると電力不足になるというのも疑問だし、電力不足が悪いのかという疑問もある。電力が足りないと経済成長できないという話も本当なのか。そもそも、経済成長と幸福度には相関がないこともすでに明らかになっている。いろいろ一から考え直すべきときである。

放射線2011年03月20日

枝野長官やマスコミが原発事故による放射線について「何々シーベルトはCT何回分だから直ちに健康に影響しない」などと言っているが、この言い方にはいろいろと疑問がある。

調べてみると、シーベルトという単位はいろいろな種類の放射線の強度に係数を掛けて足したものである。アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線など放射線の種類によって性質が全然違うのにごっちゃにしてしまっているわけである。アルファ線なら紙でも防げるが、ガンマ線や中性子線ならコンクリートが必要だ。何線がどれくらい検出されているのか可能な限り明らかにするべきだ。

また、CTで放射線を浴びるのは1回だけだが、今問題になっている数値は「1時間あたり何々シーベルト」だから話が違う。「1時間あたり何々シーベルトはCT何回分」というのは「時速100kmは距離100kmに等しい」と言っているようなものである。

それに、放射線を外から浴びるのは逃げたり遮蔽したりできる場合もあるが、放射線を出す物質を体内に取り込んだ場合は被曝が続く。そのへんを「直ちに影響しない」などと誤魔化しているのだろう。

さらに、検出されている放射線の源がどういう元素かによっても話が変わる。希ガスなら体内に取り込まれないらしいが、ヨウ素なんかは取り込まれやすい。放射性物質の半減期によっては、心配するべき期間も大幅に異なる。

加えて、原発の放射能漏れを病気の治療のために仕方なく使うCTの被曝と比べて安心を謳うことにも問題がある。そもそも、日本ではCTを他国より安易に使い過ぎではないかという指摘もある。

そういう複雑な話を「何々シーベルトだからどうこう」と単純化して済ませようとする姿勢自体が無責任である。全然信用できない。自分で調べてよく考えて行動しなくてはならない。

間接民主主義2010年08月30日

日本の総理大臣は与党内の勢力争いで決まる。それで、何となく民意とズレた権力者が生まれることになる。その民意というのもマスコミの論調に誘導されがちなので、民意が反映することが良いかどうかも不明だが、何しろ与党の政治家が勝手に決める経緯には、痒いところに手の届かないようなもどかしさがある。

ある総理大臣候補に衆議院議員の過半数(0.5)が投票すれば当選するが、過半数を持つ与党議員が誰に投票するのかは、与党内のいわば予備選挙で決まる。党員票とか細かい話は抜きにすると、だいたい与党衆議院議員の過半数(0.5)の支持を得た人が総理大臣になれるわけである。

さて、その衆議院議員は小選挙区で投票数の過半数(0.5)を得れば当選できる(比例区の話はこの際省略)。その投票率は70%(0.7)くらいである。

以上を総合すると、0.5×0.5×0.5×0.7=0.0875 という計算になり、日本の総理大臣というのは、日本の有権者のうち1割程度の間接的な支持によってなり得るものなわけである。なるほど! ホンマかいな?

参院選2010年07月16日

今回は入れたい政党も候補者も無くて困ったが、投票日に頭が痛くなって寝込んだので棄権してしまった。いつもは熱心に見る開票番組も最初だけ見て寝た。結果は、そらそうなるやろという感じでねじれちゃったわけである。

負けた民主党で蓮舫氏だけは人気があったこととみんなの党の躍進を考えると、民意は「行革キッチリやれ」ということだろう。みんなの党というのは行革は良いとして、経済については市場原理主義の小泉竹中路線だが、そのへんが支持されたわけではないと思う。

ねじれ国会になって菅政権は大変だが、最小不幸社会を標榜する菅首相にとってはその志にふさわしい状況である。最大多数の幸福を考えるなら多数決で良いが、最小不幸を目指すには少数意見に耳を傾ける必要がある。「多数決で過半数を取れないから少数意見も取り入れないとしょうがない」というねじれ状況は、最小不幸社会への正しい道筋であると考えられる。

最小不幸社会2010年06月09日

菅総理大臣は最小不幸の社会を作ると言っている。それは良い考えだ。最小不幸という言葉は昔ベンサムという哲学者が言ったという「最大多数の最大幸福」というコンセプトに対抗しているのだろう。

僕は前からこの「最大多数の幸福」という考え方に違和感を覚えていた。最大多数の幸福を追求するとなったら少数派が犠牲になる。この考え方の背後には近代化=工業化=大量生産という時代背景があるのではないか。つまり画一的な幸福を大量生産しようという考え方である。今は明らかに近代化が行き詰っているわけだから、菅氏の「最大幸福じゃなくて最小不幸」という発想は根源的に正しいと思う。

幸福というのはだいたい似通ったもので画一的だが、不幸は人それぞれである。だから不幸を最小化するには、画一的でない臨機応変で創造的な対応が必要になる。しかし、日本の官僚システムは近代化を目的としてできたものなので、そういうのに向いていない。菅さんはどうするのかな。

鳩山首相退陣2010年06月02日

「普天間基地」と「政治とカネ」で辞めると言ってたけど、「政治とカネ」の問題はずっと前からの話だから、今辞める理由にはならない。つまり「普天間」で辞めるわけである。

鳩山氏が本当に「国外または県外への移設」を追求するつもりで、同じ辞めるんだったら、アメリカと合意する前に「5月末までに決着できそうもありませんね、責任を取って辞めます」と言えば良かったんではなかろうか。

実際には、「鳩山由紀夫氏は政治生命と引き換えに辺野古周辺への移設でアメリカと合意した」という結果になった。悪い人ではなさそうだが、言ってることとやってることが違い過ぎた。

買うたろう!商品券2010年02月20日



大阪府発行「買(こ)うたろう商品券」。一万円で1150円券10枚。このデザインはなかなかポップかつローカルな感じで良いのではないでしょうか。よく見ると小さく「(C) cui daore」と書いてある。「くいだおれ」は飲食業からキャラクター・ビジネスに業態転換したのだ。

我が家では日常の買い物に使うだけで余分な物は買わないのだが、こういうのは本当に経済効果があるのだろうか。

デフレ問題2009年12月14日

僕は以前「経済が縮小するのは必然だ」と考えた。経済成長は「経済活動への参加率の上昇や、日常生活における経済活動の占有率の上昇」によって起きるというのが僕の説である。比率の問題だから100%に近づくと上昇は止まるし、100%に近い状態は行き過ぎだから適度な比率まで戻るはずである。

従ってこの先しばらくデフレが続くが、必要最低限まで経済が縮小したところでデフレは止まるだろう。では必要最低限というのはどれくらいか。税金の使い途についてそれを考えるのが今話題の「事業仕分け」だ。デフレ状況では、税金以外の分野でも全ての仕事が「社会にとって必要かどうか」を厳しく問われることになる。僕の仕事は大丈夫だろうか。

ふと思い付いて「年前の水準」という語句でググってみると、ボーナスが20年前、住宅着工が50年前、日本のGDPは17年前まで戻ったなどというニュースが出てくる。一体どこまで戻るのだろうか。僕が思うには40年前の1970年ごろに戻るのが妥当なのではないか。高速道路と新幹線を造って、オリンピックと万博をやったところで経済成長は不要となった、と。つまり今の中国くらいである。

その先で無理に経済成長を続けようとすると、'71年にドルショック、'73年に石油ショックが起きる。今の金融危機もエネルギー問題も遡ればその頃に始まっているのである。米軍基地を維持したままで沖縄が返還されたのも'72年である。今の大問題は全て'70年ごろに戻って考え直しやり直す必要があるような気がする。

自民党2009年09月07日

世論調査では自民党の復活に期待する人は結構多いようだ。自民党は復活できるのだろうか。まず誰をリーダーにするかだが、幹部クラスの人材が払底していることは間違いない。人材がいたら安倍総裁の次ぐらいには出てきていたはずだ。

では若手が出てくるのだろうか。若手が出てきてリーダーになれたら自民党復活の可能性もありそうな気がするが、そんなことになったら年功序列というか当選回数による秩序が崩壊してしまう。仮に若手が総裁になるとしても、陰で誰かが操る形じゃないと収まらない。それだと自民党が出直した感じにならない。幹部なのか若手なのかよくわからない石破氏が適任かもしれない。

ともかくリーダーが決まったとして、民主党に対抗する旗印は何にするか。民主党との違いを訴えようにも、「官僚主導」とか「土建の復権」では支持を得られそうにない。話がそっちに行かないように、外交や防衛を論点に何か保守的な雰囲気を抽象的に訴えるしかないのだろうか。それでも自民党の中で意見が分かれそうな気もする。

自民党が復活するとしたら、民主党がコケた場合だろう。来年の参院選までに民主党が成果を上げられない場合は、自民党は政権担当能力を訴えることができる。あとは小沢・西松問題と鳩山・献金問題が残っているが、民主党全体がコケるほどのことにはならないのではないか。一方、民主政権は過去半世紀の自民政権の疑惑だの密約だのを暴くことができるが、自民が民主政権を攻撃するとしたら、政権交代後の短い期間のネタしか無い。

自民党が何とか復活した場合、民主党が廃止した次官会議や特別会計や天下り特殊法人を復活させようとするのだろうか。それができないとしたら何をしようとするのだろうか。そのあたりも見えない。

Revolution2009年08月31日

総選挙は民主党の圧勝だったが、民主党の人たちが全然はしゃいでいないところが良い。300議席獲得というのは事前の予測報道のとおりで、アナウンスメント効果による揺り戻しも全然無かった。有権者が冷静で政権交代への決意が固かったということである。これはとてもクールな革命である。日本近代150年の最後は淡々と終わったのだった。

日本国民の多くが既存システムを変えたいと考えたのは前回の郵政選挙のときからだ。前回は自民、今回は民主が勝ったが、有権者の気が変わったのではなく、体制変革という方向性は同じである。前回は大騒ぎをした挙句に小泉一派に騙されたことが判ったので、今回はみんな冷静なのだろう。

与党の有名議員がたくさん落選したが、落っこちた人の共通点は「エラそうな人」ということである。エラそうな人というのは、自分が既存システムの高いところにいると思っているわけである。既存システムを変更しようというのが世の流れなのだから、エラそうな人が支持されるはずがない。

「エラい人がみんなを導く」というシステムが終わったのだと思う。今後はエラそうな人の出る幕はもう無いだろう。民主党の人たちは今のところあまりエラそうではない。エラそうになったら終わりである。