「職業としての小説家」 村上春樹 ― 2015年10月06日
自伝的エッセイだが、春樹さんの愛読者にとってはほぼおなじみの内容だ。でも面白かった。
一番のキモだと思ったのは、何かを自由に表現したい人へのアドバイスとして、「自分が何を求めているか」よりも「何かを求めていない自分とはどんなものか」を頭の中でビジュアライズしてはどうかと言っているところ。
これはちょっと禅の公案みたいだけど、僕も最近同じようなことを考えていたところだ。僕の解釈だと、何かを求めているときはその何かにとらわれているのであって、何も求めていないときの方が視野が広く心が自由になるという意味。そういう理屈っぽい言い方だと、はいはいそうですかと頭だけで判ったつもりになりがちだから、ちょっと工夫した表現になっているのだ。
村上作品が世界中で読まれるようになった元を辿ると、アメリカで英訳本が売れたところがスタートらしい。それはアメリカの出版社が翻訳書として売り出したのではなく、村上さん本人が訳者にお金を払って英語版を作り、それを雑誌や出版社に持ち込んで他の英語で書く著者と同じ扱いになるようにして勝負した結果であるようだ。実務能力あるなあ。
一番のキモだと思ったのは、何かを自由に表現したい人へのアドバイスとして、「自分が何を求めているか」よりも「何かを求めていない自分とはどんなものか」を頭の中でビジュアライズしてはどうかと言っているところ。
これはちょっと禅の公案みたいだけど、僕も最近同じようなことを考えていたところだ。僕の解釈だと、何かを求めているときはその何かにとらわれているのであって、何も求めていないときの方が視野が広く心が自由になるという意味。そういう理屈っぽい言い方だと、はいはいそうですかと頭だけで判ったつもりになりがちだから、ちょっと工夫した表現になっているのだ。
村上作品が世界中で読まれるようになった元を辿ると、アメリカで英訳本が売れたところがスタートらしい。それはアメリカの出版社が翻訳書として売り出したのではなく、村上さん本人が訳者にお金を払って英語版を作り、それを雑誌や出版社に持ち込んで他の英語で書く著者と同じ扱いになるようにして勝負した結果であるようだ。実務能力あるなあ。
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