コトリンゴ ライブ Bllboard Live 大阪2017年11月23日

奥さんとコトリンゴのライブに行った。

少女のような真っ赤なワンピースを着たコトリンゴのピアノにアコースティック・ベースとドラムを加えたトリオ編成。ベースは堅実な感じだが、ドラムはややうるさい。ピアノから3メートルくらいの距離で聴くコトリンゴの生演奏は迫力があってとても良かった。

ヒット曲「悲しくてやりきれない」から始まって、前半はほとんど新作「雨の箱庭」の曲、あとは「Birdcore」と「ツバメ・ノヴェレッテ」から3曲くらいだったと思う。終わりの方に「Sweet Nest」の曲を半分くらいやった。

MCでは、ビルボードライブ大阪の10周年のお祝いを言おうとして、前身である「ブルーノート」と言い間違え、ライブ後半には、「そうだ、音楽学校(神戸の甲陽音楽院)の卒業ライブをブルーノート時代のここでやったんだった」と思い出す。常にニコニコしながら例のおっとりした調子で喋っていて会場が和んでいた。

ひと通り演奏が終わって、僕の一番好きな「おいでよ」をやらなかったなー、アンコールでやらないかなーと思っていたら、やってくれた。ご本人にとっても一番大事な曲なんだとのこと。

場所がらか、周りの観客に50~60代のお独りオジサンがとても多くて驚いた。

「サボテンミュージアム」 奥田民生2017年09月10日

奥田民生の曲名の大半が日本語なのに対して、アルバムタイトルは「股旅」以外全て英数字だった。今回は初のカタカナ表記。これは何かを意味しているのだろうかと思って聴いてみると、これまでになくアルバムを通してサウンドが一貫している。奥田民生のアルバムは曲調やサウンドに変化を付けて統一感より多様性を持たせていることが多いが、今回はシンプルなロックンロールのバンドサウンドの曲ばかり。「股旅」も統一感があったことを考えると、そういうアルバムに日本語タイトルを付けたくなるのかも・・・というのが僕の仮説。

前2作は一人多重録音だったが、今回は現在の民生バンドである、G 民生、B 小原礼、D 湊雅史、K 斎藤有太による演奏。インタビューでも、曲を簡単にして楽器の音がよく聴こえるようにしたと言っているが、たしかに音が良い。低音高音を過剰に強調しない自然なバランスで、ボリューム大き目でもうるさく感じない。

それぞれの曲は、過去の自分の曲に似たものが多い。例えば「エンジン」は「無限の風」(Fantastic OT9)、「ミュージアム」は「チューイチューイトレイン」(OT Come Home)、「俺のギター」は「快楽ギター」(Comp)、「白と黒」は「鈴の雨」(Fantastic OT9)、「明日はどっちかな」は「フェスティバル」(Lion)、なんかがすぐに思い浮かぶ。今まではそういう自己模倣的な曲は少なくて、いろいろ工夫して新しいものを作ろうとしていたようだが、今回は開き直ってシンプルな演奏だけで勝負しているように聴こえる。

歌詞の脱力感とユーモアはいつもどおり。

いつもは50分から1時間ほどある収録時間が38分しかないが、演奏がシンプルなのでこれくらいがちょうどいい。

「コーヒーの科学」 旦部幸博2017年07月12日

僕は自分で焙煎したコーヒーを飲んでいる。コーヒーの淹れ方や焙煎の方法についての本をいろいろ読んだが、どれも大概著者の経験則と思い込みばかりで、なんでそうなのかという科学的根拠の乏しい話が多かった。

コーヒーの焙煎や抽出はほぼ化学の実験だから、科学的根拠に基づく定量的なコントロールが大事だ。

この本の著者はコーヒー好きの科学者なので、詳細過ぎるくらい科学的な理屈が書かれていて、僕の長年の疑問がいくつも解けた。

新書本だが、コーヒーに関するあらゆる情報が詰まっている。コーヒー好きの人はこれ一冊だけ持っておけば充分だと思う。

「たとえ世界が終わっても」 橋本治2017年06月11日

タイトルの「世界」は資本主義やグローバリズムのこと。なぜそういうものが終わるのかについて、ヨーロッパと日本の近代史をザックリと語っている。なかなか面白かった。

橋本治は「貿易なんて西洋人の陰謀」と言っている。日本の近代は、大砲の付いた船でやってきた西洋人に「俺のとこの商品を買え」と脅され、近代化しないと欧米に侵略されてしまうというところから始まった。そのとおりだと思う。

資本主義やグローバリズムは飽和によって終わる。そういう世界が終わるのは、陰謀の終焉でもあるから、良いことなんじゃないだろうか。

その後にくるのは、あまり儲からない、トントンで回る経済だ。

「想定外を楽しむ方法」 越前屋俵太2017年05月22日

30年くらい前にテレビの深夜番組で見た、通行人にシャンプーしてしまう俵太は本当に面白かった。ナイトスクープの探偵となり、「巨泉の使えない英語」でアメリカ街頭ロケに行ったり、「ふしぎ発見」のミステリーハンターになったりと活躍していたが、その後、書家俵越山になってからはあまり見かけなくなった。

最近、越前屋俵太としての活動を再開し、この自伝的な本を出したようだ。俵太氏は想定外こそが面白いのだと主張し、実践し続けているわけだが、予め考えたとおりの結果を得るために、仕込みやヤラセで済まそうとするテレビ業界人たちとの闘いが書かれていて、なかなか興味深い。

想定外じゃないと面白くないというのは、「面白さは発見であり、面白いことは予想がつかない」という僕の意見と全く同じだ。

「In My Element」 ロバート・グラスパー2017年03月16日

ヒップホップの要素を取り入れて新しいジャズを生み出しているロバート・グラスパー。ピアノ・トリオでさらさらと耳になじむメロディーを演奏しているので聴きやすいが、よく聴くといろいろ新鮮なことをやっている。特に、スピード感のあるリズムの展開と、左右それぞれの手が弾くフレーズの絡み合いが印象に残る。

かなりアクロバティックなこともやっているわりに、無機的なテクニック志向にならず音楽的な美しさも保っていて素晴らしい。アルバム全体の雰囲気として、静かでゆったりした感じと、細かい符割による疾走感が両立しているところがカッコイイ。かなり気に入りました。

「騎士団長殺し」 村上春樹2017年02月27日

作者の過去の長編小説を全部混ぜて1つの形にまとめたような作品。特に、奥さんと別れてまた戻るまでの主人公の内面的な試練というストーリーの骨格は「ねじまき鳥」で、作品中に登場する絵の題名が小説の題名でもあること、妖精みたいな存在(騎士団長=カーネル・サンダース)が登場すること、誰かと誰かの親子関係の有無が重大問題で、その真偽が未確定なことなどは「カフカ」。

僕にとって、村上作品の最大の謎は、この妖精みたいなものが何を意味しているかだ。過去の期間限定サイトなどで作者は、それが物語の中にだけ存在するものではなく、我々の意識のありようによっては現実に存在を感じられるものだというような説明をしていたと思う。

「騎士団長殺し」を読みながらそのことについて考えていると、騎士団長がイデアの説明をするために左右の脳のことを言い出したので、村上春樹の愛読書「神々の沈黙」(ジュリアン・ジェインズ)が思い浮かんだ。

村上作品に出てくる妖精みたいな存在は、主人公を問題解決に導くわけだから、「神々の沈黙」でいうところの右脳が発する神の声に相当するのではなかろうか。村上春樹は、神とは言わないまでも、困ったときにヒントをくれる妖精ぐらいなら我々の内側にいるということと、その声を聴くための意識のあり方はどんなものなのかを物語として表現しているような気がする。

この小説には、妖精的存在とは別の非現実的なものとして、生き霊も登場する。それについて思い浮かぶのは「雨月物語」(上田秋成)。これは江戸時代に書かれた怪談話で、村上春樹がインタビューなどで好きな物語としてたびたび挙げているもの。「騎士団長殺し」に登場する老いた画家の名字の雨田は雨月物語から来ているのではないか。

「鬼太郎夜話」 水木しげる2017年01月30日

アニメの鬼太郎は正義のヒーローだが、原作的な存在であるこちらの鬼太郎は子どもの姿なのにタバコを吸うし、お金と女性に弱くていい加減なヤツだ。でも地獄に行っても化け物に会っても平気なのがヒーローっぽい。

ストーリーは荒唐無稽で意表を突く展開の怪談話。雑誌「ガロ」連載当時('67~'69)の社会を風刺している。特に念入りにからかわれているのが三島由紀夫で、水木先生は三島由紀夫が何かに取り憑かれていることを見抜いていたとも読める。

「Novel 11、Book 18」 ダーグ・ソールスター(村上春樹訳)2016年11月18日

エリート官僚の人生がだんだん変な方向にそれていって...という話。主人公は自意識過剰の空疎な人格で、エリート官僚にありがちな内面を戯画化しているようにも思える。主人公に共感できないうえ、リアルタイムに描写しているのか過去を振り返っているのか曖昧な語り口の三人称文体が落ち着かない。ずーっと不吉な気分が漂っている。途中で読むのがイヤになり、最後の3割ほどは斜めに読んでしまった。

僕は村上春樹の訳した小説をいろいろ読んだが、面白いと思ったのは「ギャツビー」と「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と「ロング・グッドバイ」だけで、つまり古典的名作の新訳だけということになる。それで、村上翻訳本にはもう付き合わないことにしていたのだが、久しぶりにこれはちょっと面白そうだなと思って読んでみたのだが、やっぱりダメだった。