「幻想に生きる親子たち」 岸田秀 (文春文庫) ― 2006年08月02日
僕は昔岸田秀先生の本を熱心に読んでいたのだが、何の話でも「人間は本能が壊れていて、全ては幻想である、ゆえに何をどうがんばってもどうしようもない」というような結論に至るので、非建設的というか行き止まりな感じがして読まなくなってしまったのだった。でも、久しぶりに読んだら面白かった。内容はいつもながらの唯幻論なのだが、なんか前よりはポジティブな姿勢で言っているような気がする。
岸田先生の話は親子関係、男女関係から社会問題や国家の起源にまでおよぶが全てを統一的に説明していてしかも説得力があるし、文章も分かりやすいうえにユーモアがあって素晴らしく芸達者だ。しかし文部省には大学教授資格を剥奪されるし、早稲田大学もストラスブール大学も博士号を出さないのだそうだ。岸田先生は既存の権威が危険を感じて拒否反応を起こしてしまうほど偉大なのである。心理学界における岸田秀は美術界における岡本太郎みたいなものか。
この文庫は2006年2月発行だが元の単行本が出たのは2000年で、中身が書かれたのは前世紀である。結構古い。最近の文章も読んでみたくなった。
「THE ERASER」 トム・ヨーク ― 2006年08月07日
じゃあ何で聴くのかというと、レイディオヘッドはすごく有名で評判もいいからだ。一体どういう音楽でどういうところが評価されているのかを自分で聴いて判断するためである。聴いた感想は、僕が好きな音楽じゃないけど、たしかにオリジナリティはあると思うし、すぐには良く理解できないところが面白い。
解決の無いマイナーコードに消え入りそうな声のメリハリのないメロディが乗っかっている。リズムトラックは無機質な音色の打ち込みだが、よく聴くと意外にノリのよいリズムパターンである。このヒップホップみたいなリズムと、一見ノリのないヴォーカルの絶妙のバランスが結構クセになる。うーむ、やっぱりこういう打ち込みポップの時代なのかなあ。
あとは歌詞が分かれば多分いいことを言っているんだと思うけど、あいにく輸入盤には歌詞カードが無いのでよく分からない。ちなみにトム・ヨークは村上春樹の熱心な愛読者なのだそうだ。そういえば「海辺のカフカ」の主人公はレイディオヘッドを聴いていた。
ボウモア12年 ― 2006年08月12日
僕は酒は好きだがとても弱いので、ウィスキーの四合瓶を買ってハズレだったら消費するのがツライ。それでミニチュア瓶を探すとボウモア12年(50ml)というのがあったので買ってみた。600円以上するので四合瓶の倍以上割高だけどしょうがない。
一口飲んでこれはアタリだと分かった。燻製の煙を凝縮してアルコールに溶かしたかのような味にモルトの甘みも加わってとてもおいしい。僕がよく知っているウィスキー(サントリーオールドとかシーヴァスリーガルとか)とは全然違う味である。ブレンデッドウィスキーには甘みが無い。
ふと思い出して村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」を読み返してみるといろいろな薀蓄が得られた。ボウモアも含め何種類かのシングルモルトウィスキーの瓶に「ISLAY」と書いてあるのはアイラと読んで、モルトウィスキーの聖地であるアイラ島の産であることを表しているのか、ふむふむ。ボウモアはアイラ島の7つの蒸留所の中では癖が強すぎず弱すぎずバランスのいいヤツのようである。
今度はボウモアの四合瓶を買うことにしよう。食事には合わないので、夜中にチビチビ飲む用だ。
「失楽園の向こう側」 橋本治 (小学館文庫) ― 2006年08月22日
冒頭に映画「マトリックス」の話が出てくる。「赤い薬を飲んで真実を見たら貧しいおかゆしか食うものがない」という「マトリックス」の設定があきれるほどリアルで現代人のあり方そのものだという。僕が最近読んだ3冊の本に立て続けに「マトリックス」の話が出てきた。僕も「マトリックス」は小脳論的世界観の映像化であると思っている。
他にも「自分とはボーっとしている状態の中に存在するもの」というような、ほとんど僕が言っているのと同じようなことが書いてあって頷かされる。他にはワールドカップやナカタについての分析(ただし2002年当時の)もあって面白かった。
「TODAY」 松永貴志 ― 2006年08月23日
「報道ステーション」のテーマを作曲してピアノを弾いている人。サックスの矢野沙織と同じく二十歳くらいである。最近は若くて優秀な日本人のジャズミュージシャンが続々と現れつつあるようだが、なんかこう手放しで喜べないというか、未来に希望が感じられないのはなぜだろう?
ジャズという音楽は新しい世界をどんどん開拓していくのが面白かったのだけど、マイルズ周辺の人たちができることは全部やりつくして下火になったわけで、個々のミュージシャンの演奏能力や作曲センスが優れていてもジャンルとして寂しい感じがするのはしょうがないのだなあ。
さてこの松永くんのピアノはコロコロした丸い音である。ほのぼのした感じでリラックスして聴ける。上原ひろみみたいなキョーレツな個性は感じられないが、「報道ステーション」の曲「Open Mind」なんかはメロディもリズムも面白くてすごく良いと思う。他にもポップで楽しい曲が多い。結構いいかも。
僕が会社を辞めたわけ ― 2006年08月25日
21年勤めた会社をやめた。いろんな人からなんでやめるのか訊かれたが、何かひとつ大きな理由があってやめたわけではない。多くの要因が重なってビッグウェイブになって押し寄せてきたので、ちょっとビビリながらもテイクオフしたのである。そもそも昔から「いつでもやめたる」と思いつつ実際会社でもそう言いながら働いていたので、いつやめてもフシギはなかった。
僕のいた事業部が何年も赤字続きでついに廃止されたこともやめるきっかけのひとつだ。その事業部に所属していた人たちは会社内外のいろんなところに散り散りになってしまった。僕は同じ課の同僚たちと一緒に別の事業部に移って今までとだいたい同じ仕事を続けることになったのだが、喩えてみると「イタリア料理店から宅配ピザ屋に移った」といった感じでやっぱりなんかちょっと違う。
事業が続いているうちにやめたとしたら心残りもあるかもしれないが、向こうもやめるというんだからしょうがない。20年も現場で設計してきてやれることは一通りやったし、まあ潮時だろうという気がする。最近は僕も奥さんも仕事が忙しくて残業が多くなり、どちらかが勤めをやめないと家庭生活が崩壊しそうな状況でもあった。
そういうわけで僕が家に引っ込んで3ヶ月になる。最初のひと月はいろんな事務手続きを片付けながらワールドカップを観て過ごし、次の月はなんか放心しているうちに過ぎ、今月は高校野球を観ながら子どもたちと一緒に過ごした。
平日はだいたい僕が三食の用意をする。要するに専業主夫である。週に3回くらいスーパーマーケットに行く。毎日毎日食事のメニューを考えるのは結構キツイが、会社の仕事のプレッシャーから解放されて気分がよい。日曜の夜にサザエさんを見てもブルーにならない。
「何年か後に会社が事業から撤退して自分は会社をやめる」と分かっていても、僕はあの執拗なプレッシャーを感じていたのだろうか。「いつでもやめたる」と言いつつ、僕は無意識のうちに仕事が永遠に続くとでも思っていたのかもしれない。
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