最小不幸社会 ― 2010年06月09日
菅総理大臣は最小不幸の社会を作ると言っている。それは良い考えだ。最小不幸という言葉は昔ベンサムという哲学者が言ったという「最大多数の最大幸福」というコンセプトに対抗しているのだろう。
僕は前からこの「最大多数の幸福」という考え方に違和感を覚えていた。最大多数の幸福を追求するとなったら少数派が犠牲になる。この考え方の背後には近代化=工業化=大量生産という時代背景があるのではないか。つまり画一的な幸福を大量生産しようという考え方である。今は明らかに近代化が行き詰っているわけだから、菅氏の「最大幸福じゃなくて最小不幸」という発想は根源的に正しいと思う。
幸福というのはだいたい似通ったもので画一的だが、不幸は人それぞれである。だから不幸を最小化するには、画一的でない臨機応変で創造的な対応が必要になる。しかし、日本の官僚システムは近代化を目的としてできたものなので、そういうのに向いていない。菅さんはどうするのかな。
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