日記 ― 1999年01月03日
奥さんの許可を得て大阪市内へ出かける。まず、ジュンク堂難波店。ここで本を1万円分買うと飲み物券をくれる。この券をもらって3階の喫茶コーナーでコーヒーやぶどうジュースを飲みながらぼおっとするのは僕の小確幸(小さくても確固とした幸せ:村上春樹用語)の一つである。だからここへ来るたびに一所懸命1万円を目指して本を選ぶのだが、いつも一苦労である。どんな本でもいいというわけではない。僕の書斎は約一畳(要するに机と本棚2本)しかないので本を置くスペースは限られているし、子供2人を抱えてバタバタと暮らす生活の中では本を読める時間も限られている。買う本は厳選しなくてはならないのだ。今回も9千円からあと一冊の買いたい本が見つからずに重い本を何冊も抱えて本棚の間を歩き回っているうちにヘトヘトになってきた。時間と労力をかけて無理にあと千円使うくらいならお金を出してコーヒーを飲めばいいじゃないか、という気もしてくる。でもとにかくあきらめずに読みたい本を探すのだ。結局、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(岩波文庫、4冊!)、モリス・バーマン(柴田元幸訳)「デカルトからベイトソンへ」、河合隼雄「日本人という病い」などを買った。最近出たポール・マッカートニーの回顧録も見つけたが、電話帳のように分厚いのでやめた。そうやって飲み物券を獲得するために苦労したのだが、おかげでお腹が空いてご飯が食べたくなったので今回は使わずにとっておくことにする。
ジュンク堂の下のCD屋で奥田民生のビデオを探すが、無い。店を出て日本橋へ向かう。途中、食べ物屋はあまりない。映画館に人が並んでいる。「アルマゲドン」だった。吉野屋があるが満員で人が並んでいる。さらに南に歩くとソフマップのマック売り場があったので、パワーブック用のカードモデムと外付けCDドライブを買う。初めてiMacの実物を見る。思ったよりずっと小さい。半透明なせいで凝縮感がある。僕も欲しい。外に出て再び歩く。ミスドで飲茶とコーヒーにしようと中に入ってみるとカウンターの前に人がたくさんいるが、店内を見回すと2人席が開いているので座ろうとすると店員に呼び止められる。お並びのお客様の後になります、ということなので店を出る。人混みをかきわけで難波に戻る気はしないので、地下鉄で恵比寿町から日本橋まで一駅分戻る。
地下街を難波に向かって歩く。明石焼きの店あったので入りかけるが、もう少し重量感のあるものを食べたいのでやめる。イタリア料理店のディスプレイを見るが、あまりおいしそうな気がしない。ろう細工の見本があるイタリア料理屋というのは多分おいしくないだろう。焼き鳥屋も串カツ屋も居酒屋の昼定食もパスする。しばらく歩くと服屋ばかりで食べ物屋がなくなったのでちょっと後悔する。地下鉄難波駅に着く寸前に小さなトンカツ屋を発見し、入る。ミンチカツ定食と生ビールを注文する。このミンチカツはかなりうまかった。ミンチカツというとハンバーグのたねに衣を付けて揚げたようなものが多いが、ここのは全然違った。なんというか、とてもふっくらとしている。多分、トリ肉のミンチを使っているのだと思う。ご飯もおいしかった。確か「長崎本舗」という店。また行きたい。
日記 ― 1999年01月06日
昼過ぎにCAD端末に行ってみると奥さんからメールが来ている。保育園から電話があり、息子の右目の白目の部分が充血か出血していて、本人は痛がってはいないが念のため医者に診てもらってはどうかと言われたという。今すぐ帰ろうかとも思うがとりあえず4時まで仕事をすることにする。4時半に奥さんと一緒に保育園に着く。見ると確かに右の目玉の鼻側に赤いスジがある。指の爪が当たった跡のようにも見える。
一旦家に帰り、自転車で出かける。近所のポストに寄って、息子が描いたおじゃる丸の絵をNHKに送る。それから5分程走って眼科に着く。意外にたくさんの人が順番を待っている。どれくらい待つことになるのか受付の女の子に尋ねると15分から30分くらいだと言うので、その間に「」のレンタルビデオを返しに行くことにする。ここから片道5分くらいの距離である。
ビデオ屋から戻り、待合室に置いてあったアンパンマンの絵本を小声で読む。彼はまだ自分で本は読めない。僕は子供にあまり積極的には文字を教えないようにしている。によるとを覚えることはを忘れることだからだ。絵本を読み終わった頃に名前を呼ばれる。診察に呼ばれたのかと思ったら、第2の待合室に移動するだけだった。そこで視力検査の順番を待つ。
壁に2枚の絵が掛かっている。パリの凱旋門らしき絵とベネチアの小さな橋らしき絵だ。どちらも印象派風である。凱旋門の方は淡い色を使っていてきれいだが明暗はあまりない。ベネチアの方は光と影がくっきりと描かれている。細部にこだわらずに全体をうまく捉えている。写実的ではないのにとてもリアルだ。僕はこちらの絵が気に入った。息子にどっちが好きかと尋ねると、「どっちもいらん」と答えた。
息子の番になり、目の焦点距離とか瞳の間隔なんかを(多分)測った後、視力検査をする。例の「C」の向きをうまく答えることができないので、C形の板を渡される。それをくるくると動かして答えるのだ。それからまたしばらく待ってやっと診察の順番が来る。ちょっと傷が付いているがたいしたことはないのですぐ治るでしょう、とのこと。最初の待合室に戻って処方箋をもらう。視力検査の結果を訊くと0.8だと言う。4才児の視力ってそんなもんなんだろうか。検査の最後の方は息子も疲れて適当に答えていたような気がするが。息子にオシッコ無いかと訊くが「無い」という。眼科を出て近くの薬局へ行き処方箋を出して目薬を買う。ほんのちょっぴりの目薬に640円もとられる。
買い物も頼まれているので、近くのスーパーマーケットへ行く。息子はお菓子売り場へ走っていく。メモに従って、竹の子の水煮、はるさめ、小麦粉、三温糖、をカゴに揃えたところで息子が股間を押さえて走ってくる。トイレはどこだったっけ? 息子に訊くと店の外を指さす。そうだった。カゴをそのへんに置いて二人で走っていく。ここのトイレは汚いのだ。さっき眼科でオシッコ行けって言うたやろ...。再び店に戻り息子とお菓子を選ぶ。協議の結果ジャガリコを買うことにする。
スーパーを出て商店街に入ったところで薬屋を見付け、フォローアップミルクを買う。僕が自転車の前後に買い物の袋と息子を満載しているのを見て、店主がミルクの缶を店の前まで持ってきてくれる。勘定も店の前で自転車に乗ったままですませる。それから5分程走ってやっと家に着いたら7時になっていた。
日記 ― 1999年01月09日
昨日からとても寒くなってきた。寒くなるとうちでは「北風小僧のカンタロー」を歌う。それはいいのだけど、我が家の寝室には冷暖房というものが無い。あまりにも寒いので雨戸を閉めて寝てみたが、気休めにしかならなかった。風邪をひいたのか、頭が痛い。11月の初めからひいていた風邪が年末にやっと治ったところなのに。
寒いので、コタツ周辺に家族が集まり午前中ずっとゴロゴロしている。昼は僕が焼きビーフンを作る。その後、甘い物が食べたくなったので果敢に外に出ることにする。自転車で5分程のところにある国道沿いのケーキ屋を目指す。途中ゴルフショップに入ってみる。僕はこの10年に5回ゴルフをしただけだが、いつも膝が痛くなるので、スパイクをプラスチック製に変えてみようと思い、買う。木製のティーも買う。次にゴルフをする予定もないのだが。
寒さにめげることなくケーキ屋までたどり着く。4種類のケーキを買う。わりとちゃんとしたケーキのように見える。帰りに、いつもの酒屋に寄る。年末年始の各種会合に持参して好評だったベルギービールを買っておく。720mlで1300円位。コルクで栓をした上からシャンペンのように針金で押さえてある。アルコール度数は9%位が多い。味が濃くて甘い香りがする。ここの店主はベルギーまで買い付けに行ったらしく、あちらの酒蔵で撮られた本人の写真が飾ってある。
家に帰りコーヒーをいれてケーキを食べてみたら全然ダメだった。アンリ・シャルパンティエとかパティシェ・ド・ミッシェルみたいにとまでは言わないが、もうちょっと真面目にやれと言いたい。僕はそんなにしょっちゅうケーキが食べたくなるわけじゃないが、家の近所においしいケーキ屋を一軒は確保したい。
夕食は僕がこの前難波で食べたトリ肉のミンチカツを奥さんが再現してくれた。ほぼ店で食べた通りに再現できていてうまかった。トリだからあっさりしていて食べやすい。いつもはご飯を食べるのが遅い息子もパクパク食べていた。奥歯が一本生えてきた娘もミンチカツを潰したものを気に入ったようだった。
食後に僕が皿洗いをしていると息子がお茶を飲みたいというのでお茶をいれる。息子の分には氷をひとかけら入れて冷ましてコップを渡す。僕は流しの前に立ったまま、息子はテーブルについてお茶を飲む。息子が壁にかかった絵を見ながら「パパ、あれ誰?」と訊く。「ジョン・レノンっていう人。」「ジョロン、レロン?」「ジョン、レノン。」「ジョン・レノン?」「そう」「それ誰?」「歌を歌う人。パパはこの人の歌が好きやねん。」「ふーん。」
ジョンのセルフポートレイトのポスターを買ったのは息子が生まれる直前だ。ジョンはヨーコとの間に生まれた息子ショーンを育てるために5年間休業した。僕のような一介の会社員には真似できないが、なるべく育児をちゃんとやろうという気分になっていた時、偶然このポスターを見付けて買ったのだ。息子は今まで4年半ずっと毎日見ていたはずだが、今日初めてこの絵が誰なのかという疑問を発した。5才になったショーン君に「パパはビートルズだったの?」と言われたジョンは音楽活動を再開した、という話を何となく思い出した。関係ないか。
日記 ― 1999年01月30日
朝、息子とコンビニへ行く。息子は走って行くと言う。どうせすぐに「もうシンドくて歩けない」とか言い出すに決まっているので、僕は自転車に乗って行く。息子がペタペタと走るのに合わせてゆっくりと自転車を走らせる。ボクサーか長距離ランナーとそのコーチみたいだ。頭の中でロッキーのテーマが鳴る。池の横を通る。鴨とユリカモメの群れが一緒にいる(彼らは暖かくなるといなくなる)。サギも2、3羽いる(彼らは一年中ここにいる)。息子との間では、たくさんいるカモが保育園児で少し離れたところにいる背の高いサギが先生なんじゃないか、ということになっている。結局、息子は300m位の道のりを走りきった。それで息も乱れていないのには感心した。
その後、一人でいつもの酒屋へ行く。例によってベルギービールをじっくりと選んでいると、店主がそばに寄ってきて、めずらしいのが入ったのだがどうかと勧める。「温めて飲むビール」だそうな。サクランボを漬け込んであって、いろんなスパイスだかハーブだかも入っていて、70度に温めて飲むのだと言う。どんな味がするのか想像もつかない。小瓶だったら試してみてもいいけど、4合瓶なので遠慮させていただく。そう言うと、店主はとても残念そうな顔をした。7種類のビールを買って帰る。
昼前、息子がお使いに挑戦することになったのだが、一人で行かせるのは不安なのでスーパーまでついて行く。途中、墓地の前を通る時、息子が「死んだらここに埋めてな」などと言う。この前まで「死ムのイヤや」と言っていたのだが...。スーパーに着くと息子は真っ先にオモチャのところへ走っていく。買うべき物はタコと紅しょうがと天かすである。ちゃんと買い物しろよと言うと、あちこち歩き回って探し始めたが、何も見つからない。「タコは魚のところやで」と教えると魚売り場に走って行き、造り用のタコを発見する。でも、タコ焼き用だからゆでダコでいいのだった。実際にやらせてみるとお使いはまだまだだということが分かった。奥さんは「店の人に訊くのよ」とか言ってたが、べにしょうがだって何種類もあって選ぶのは大変である。コーヒーの粉とうぐいすもちも買う。
そういうわけで、昼食はたこ焼き。昨日会社の帰りに買ってきたたこ焼きは結構コシがあったけど、家で作るたこ焼きはコシが無い。そこで、いつもは薄力粉だけで作るところを今回は3対1の割合で強力粉を入れてみる。結果はまあまあ成功。もう少し強力粉が多くてもいいかも知れない。小野リサのCDをかけてたこ焼きを焼く。最近、小野リサさんがテレビに出ているのを見たが、家にハンモックを常設していると言う。そのハンモックの写真も出ていた。ハンモックでのできる生活というのは夢のようだ。
たこ焼きを食べながら、さっき買ったベルギーの赤ビールを飲んでみる。これは飲んでびっくり、赤ワインのような色で白ワインのように酸っぱくてフルーティな香りがする。小野リサを聴きながら台所のテーブルの前に立ち、たこ焼きを食べ、酸っぱい赤ビールを飲む。なんで立っているかと言うと娘をおんぶしているからである。途中で奥さんに娘をひきとってもらう。30個ぐらいたこ焼きを食べる。おなかが苦しい。
居間で娘と遊ぶ。「ヒコーキ」をするとキャッキャと笑う。彼女は一歳になって急に歩き始めた。半月ほど前は一歩歩けるだけだったのに、長足の進歩を遂げている。それと同時に言葉を色々言えるようになった。ワンワンとかバイバイとかオイチーとか。二足歩行と言語の使用は人類の2大特徴だから、彼女もやっと人間へと進化したわけである。じゃあ、それ以前は人間じゃなかったのかというと、そんなことはない。ということは、二足歩行とか言語の使用を人類の特徴と考えることが間違っているのである。
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