山崎10年 vs 白州10年 ― 2006年10月04日
しかし、後で調べたら山崎10年も白州10年も180mlは定価1100円だった。この「飲みくらべセット」は「山崎」と「白州」と書かれたコルクのコースター2枚付きで高い値段が付けてあったようだ。失敗!
味はどちらもモルトの甘みがしっかり感じられ、少しだけ華やかな香りもする、クセの無い味。目隠しテストをしてみたけど、区別は付きませんでした。
「Modern Times」 ボブ・ディラン ― 2006年10月05日
渋い、シブ過ぎるで、ボブ。iTunesのジャンルがFolkになってるけど、それは違うやろ、Bluesやん。憂歌団かと思ったもん。それとも二日酔いで風邪引きのエリック・クラプトンか。
アルバムのタイトルとジャケットの写真を見て、なんかクールな音楽をやってるのかと思ったら、全然違った。最初聴いたときは地味やなーと思っただけだったが、何回か聴いてるとだんだん良くなってきた。噛めば噛むほどというやつである。ダシが効いている。なんともいえない暖かみのある名盤。
例によってDVD付き。普通はアルバムに収められた曲のヴィデオが付いてるもんだが、ボブの場合は違う。過去の4曲。こういうのが付いてる方が値打ちがある。しかしディランさん、無表情やねー。
村上春樹と庄司薫 ― 2006年10月08日
「ハートフィールド」の正体については諸説あって、「太宰治+三島由紀夫だ」という人もいる(佐藤幹夫「村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。」PHP新書)。そういえば、「赤頭巾ちゃん」の帯の紹介文を三島由紀夫が書いている。
どうも最近、世界的に評価の高まっている村上春樹を、日本文学の真ん中へんの流れに位置づけようという動きが盛んになりつつあるのかもしれないが、ハートフィールドはラブクラフト、R.E.ハワード、ヴォネガットあたりを混ぜた架空の存在だと村上春樹本人が言っている。
でも、あえてこじつければ、「赤頭巾ちゃん」と「風の歌を聴け」には共通点がある。まず第一に「あとがき」が付いているということである。そして、そのあとがきは、小説のフィクション世界と現実の境を曖昧にするために書かれている。
本来、あとがきは虚構の世界を語り終えた作者が現実の世界で書くという体裁のものである。しかし、「赤頭巾ちゃん」と「風の歌を聴け」のあとがきは、虚構の世界の語り手が書いているのだ。
「赤頭巾ちゃん」では語り手が作者のペンネームと同じ名前であるという設定の時点で既にフィクションと現実が交錯しているが、さらに「あとがき」で、山手線の駅近くに住んでいる自分を探しに来ないで欲しいなどという。
「風の歌を聴け」の方は、あとがきでハートフィールドの作品に巡り合ったいきさつやら、墓参りに行った話をもっともらしく語り、参考文献を挙げるが、これが全てフィクションであるにもかかわらず、最後に日付と自分の名前を記すことで現実であるかのように見せている。
つまり、どちらも「あとがき」をフィクション界と現実界の通路として配置している。
「赤頭巾ちゃん」のあとがきで主人公は、自分は兄が書いた小説の主人公であるような気もすると言う。「風の歌を聴け」の方はカバーのイラストに「BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」と書いてあるが、これはこの小説が主人公の友人によって書かれたものであることを暗示している。つまり、「赤頭巾ちゃん」も「風の歌を聴け」も主人公に非常に近い登場人物が書いた小説であるというややこしい設定が施されているのだ。
「あとがき」によってフィクション界と現実界を繋ぐことと、登場人物がが書いた小説であるという自己言及的構造を用いることの目的は、語り手の視点をあいまいにするためである。
そういえば庄司薫って今どうしてるんだろうと思い、ググッてみたところ、ご本人の近況は不明だが、「赤頭巾ちゃん」シリーズの「ぼくの大好きな青髭」は雑誌連載時よりだいぶ短くてスジもちょっと違うところがあるらしい、ということを知った。そしてありがたいことに、その雑誌連載バージョンをネット上で読むことができる(「紙魚の筺 庄司薫」で検索)。ZoomBookというソフトをダウンロードする必要があって、ページをめくる時の読み込みにちょっと時間がかかるが、まあ読める。
しかも、同じ場所に村上春樹の単行本化されていない作品もあった。 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のもとになった「街と、その不確かな壁」まである。村上さんはこの作品について「研究者以外は読む必要ないでしょう」みたいなことを言っていたけど、前から興味があったので読めるのは嬉しい。
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→ 村上春樹の文章論
「THE INFORMATION」 ベック ― 2006年10月11日
かなり面白い。ノリがよくてポップなうえに、思い付きを切り貼りしたようにいろんなことをやっているので飽きない。いろんなアイデアを詰め込んでいるわりに脱力感があって良い。傑作だと思う。
ヒップホップ的な曲の間に時々ビートルズみたいな曲が出てくる。特に最後の曲は「リボリューション9」だろう。違う曲で同じフレーズを使ったりしてトータルアルバムなところもビートルズだ。
その繰り返し出てくるフレーズというのが、ハービー・ハンコックのヘッドハンターズに入っている「カメレオン」の「ブッ、ブッ、ブッ」の真似である。僕も最近ハンコック師匠を再評価しているところだったので共感。
このCDのジャケットは何も書かれていない方眼紙の模様で、付属のシールを自分で貼ってデザインするようになっている。やってみるとなかなか楽しい。あまり関連性のないいろんな絵柄のシールを貼っていると、コラージュという作業が体感できて、ベックの音楽のコラージュ的な作り方がちょっとわかったような気がした。
ところでUS盤には標準でDVDが付いているようで、別に高くないのでそれを買った。日本盤のDVD付きは値段がUS盤の2倍くらいする。ぼったくりにもほどがある。
DVDにはCD全曲分の映像が入っている。音源はCDと同じのようなので、CDは無くてもいいくらいだ。その映像というのがまたナンセンス、シュール、サイケデリックな、つまりビートルズ的なのである。しかもビートルズと同様に面白くない。そう思って飛ばし飛ばし見ていたら、ビートルズのパロディのバンドが出てきて、そこだけちょっと面白かった。
マッカラン12年 ― 2006年10月12日
業界では「シングルモルトのロールスロイス」といわれているらしい。華やかな香りがして、全くクセがなく、口当たりがヒジョーに滑らかだ。なるほど。でも飲んでて全然おもしろくない。
このおもしろくない感じは山崎に似ている。そうか、山崎はマッカランを目指しているのだな。そう思ってふとラベルを眺めてみれば、ベージュっぽい白地に金の縁取りというデザインは山崎とそっくり。
飲み比べてみると、山崎も頑張っているのはわかるが、香りが香水っぽくてやや鼻につく。元祖マッカランの方が完成されている。それに元祖の方が安い。マッカランの完勝。
「The Beatles Anthology 7&8」 DVD ― 2006年10月13日
マネージャーのブライアン・エプスタインが死んで、インドに修行に行ったり、ヨーコが現れたり、リンゴとジョージが1週間ずつぐらい脱退したり、だんだんドタバタが激しくなって解散するまで。
4人はもともと仲良く寝食を共にしてきたが、この頃からツアーをやめたりみんな結婚したりして自分の世界を持つようになってきたのだな。30歳も近いし、まあいわゆる青春の終わりですね。
ビートルズ時代の映像でもそうだが、「アンソロジー」製作時のインタビューを見ると、ポールがかなり仕切り屋キャラであることがわかる。解散についてはヨーコが悪者にされた時代もあったが、ポールのリーダーシップも逆効果だったみたいだ。
それにしても例の屋上ライブはいいなあ。警官が来ても「逮捕されたらされたで、映像としてサイコーじゃないか」みたいなことを言ってて感心。ビートルズが初めてやった野球場とか武道館のライブは今では当たり前になってしまったが、屋上コンサートは誰も真似しない。無料サービスだからか。
腰痛 ― 2006年10月14日
家に閉じ篭ってパソコンの前に座ってばかりいるせいか、腰痛になってしまった。洗濯カゴから洗濯物を取るのに屈もうとするとビリビリくるので、片手を膝に置いて上半身を支えなくてはならない。ギックリ腰の類かと思ったが、家庭医学書を読んでみると、後ろに反ると痛いのがギックリ腰で前に屈んで痛いのは椎間板ヘルニアのようだ。軽いのは腰痛症といって大したことはなく、安静にしていれば治ると書いてあるのだが、1ヶ月くらいたっても治らないので医者に行った。
子どもが怪我をした時に連れていく近所の整形外科だ。いつも待合室は混んでいるが、診察の順番は結構早く回ってくる。なぜかというと、そこにいる人の多くが70代半ば以上と思われる高齢の方々で、名前を呼ばれてもたいていは診察を受けずに「理学療法室」に直行するから。よく言われるように、医院が高齢者の社交場になっている。おじいさんは少数でほとんどがおばあさんである。おばあさんが社交的だからか、女性の足腰が弱りやすいからか。ところで、これから団塊の人たちがここに加わったら健保制度は大丈夫なのか。彼らはもっと別のところで社交をするだろうか。
僕の順番が来て、問診を受ける。先生の言われるままに身体を捻ったり、背中の上から下まで叩かれてどこが痛いか訊かれたりする。捻っても痛くない。尻のすぐ上あたりを叩かれると響く。写真撮りましょうということになって、別室へ行く。正面と側面から撮られる。
現像してる間、腰を温めましょうと言われて、理学療法室に行く。おばあさんたちに混じり、たくさんあるベッドの一つにうつ伏せに寝て、腰にヒーター付きのパッドを当てられる。気持ちいい。看護婦さんが電気をかけますよと言うが、何も感じない。分かりますかと訊かれ、分かりませんと答えるとボリュームを上げたらしく、腰にジワジワと電気の刺激が来る。電気風呂のパルスを泡のように細かくした感じ。指圧されてるようでイタ気持ちいい。
電気の刺激に浸りきっていると、10分くらい経った頃に自動的にスイッチが切れて終わり。診察室に行く。先生はレントゲン写真を見るなり、全く問題ありませんねと言う。腰痛症というやつです。まあ運動不足ですな、腰痛体操をして下さい、と言ってパンフレットをくれる。筋肉が固まると良くないのでストレッチをするのがいいとのこと。湿布をもらって帰る。
腰痛体操をしたら、2日で嘘のように治ってしまった。恐るべし腰痛体操。仰向けに寝転がって膝を抱え込むストレッチが効くみたいです。それともあの電気が効いたのか?
釣り ― 2006年10月16日
子どもが釣りをしたいというので、安物の竿を10年ぶりに引っ張り出してきて大阪南港の魚釣り園に行った。釣り客が100組くらいいる。小さい子どものいる家族が多い。売店でさびきの仕掛けと餌を買って、空いた場所を見つけて子どもにやり方を教える。よく晴れて気持ちのいい風が吹いていて、カモメが飛んでいる。岸壁は西向きで大阪湾が一望できる。正面は淡路島で、明石大橋のワイヤーまで見える。海の水は思ったよりずっと青く澄んでいた。
隣にいたオジサンのところに行って、釣れますかと話しかけたら「ニホンゴ、ワカラン!」と怒鳴られた。その後、オジサンに仲間が「ハオマ?」とか言ってたから中国人のようだ。オジサンは竿を何本か持っていて、あっちの竿を投げたりこっちに置いた竿の様子を見たり、それからサンマをたくさん取り出してなぜかコンクリートの上でさばき始めたり、忙しく動き回っている。しかし、なんでサンマを開いているのだろう? 餌にしているようにも見えたが、あんなに何匹もさばくのはなぜ? そのサンマ焼いて食べた方が...。
岸壁の裏側に海水が流れ込んでいるところがあって、小アジの群れがいるので、そっちに竿を持っていってみるが全然反応しない。子どもたちはそこで小さい巻貝やカニを取って遊ぶ。しかたなく海側に戻るが、いつまで経っても全く釣れない。岸壁の左右を見渡しても誰も釣れていない。お日さんが低くなるばかりである。上着なしではだんだん寒くなってくる。
昼過ぎから夕方までいたが、1匹も釣れなかった。他の人が釣っているところも一度も見なかった。見事な夕日が淡路島に落ちて、薄い雲がピンクに染まる。家族連れが帰り支度を始める頃、分厚いジャンパーを着込んだ釣り人が何人か現れる。我々の近くに来た人は、クーラーに座ってポテトチップをつまみに缶ビールを飲み始め、「まだ連れる時間とちゃうで」という顔をしている。中国系のオジサンたちもまだ帰らないようだ。夜釣りに備えてサンマを用意していたのかも知れない。
「夢助」 忌野清志郎 ― 2006年10月18日
今回はその言葉というのがすごくストレートというか素直にラブ&ピースを訴えている。元気な曲もしんみりした曲も結構直球勝負で、感情に訴えるものがある。
このアルバムはオーティス・レディングのお仲間であるスティーブ・クロッパーがプロデュースしてナッシュビルで録音されたとのこと。「オーティスが教えてくれた」という曲もある。なんかどこかで聞いたことがあるような雰囲気の曲が多いと思ったら、オーティス・レディングへのオマージュってやつなんですね。オーティス・レディングのベスト盤をアマゾンで試聴してみたら、知ってる曲もいろいろあってなかなか良かったので買おうと思う。
バックの演奏はさすがアチラのミュージシャン、上手い人がシンプルなことをやってて余裕がある。「温故知新」という曲もあるくらいで、復古的にシンプルである。今風なところは全く無い。ボブ・ディランの新譜にも通じるものがある(あそこまで渋く枯れてないが)。音も自然な感じでいい。でもちょっと軽い、乾いた音。
たまにノドが苦しそうに聞こえるところがあるのだが、気のせいだろうか。歌手としてはかなりピンチな状況だが、回復を祈ろう。
仮想現実 ― 2006年10月23日
月に1回くらい大阪市内の大きな本屋やレコード屋に行くのを楽しみにしていたのだが、今年の夏ぐらいからはすっかりアマゾンでクリック、クリックするだけになってしまった。電車賃もいらないし割引もあるから、出かけるより安くつく。品揃えも文句無い。
最初に一人で繁華街に出かけたのは中学生の時だ。梅田の旭屋書店と阪急グランドビルのレコード屋に行って以来30年続いた習慣も、IT革命により突然途絶えてしまいそうである。
そうやって宅配で手に入れたCDをせっせとiTunesに読み込んでいるわけだが、今のところ音楽をダウンロード販売で買うには至っていない。理由はいろいろあるけど、ジャケットに入ったCDを所有したいという感覚も大きいような気がする。
ところが、iTunesのVer.7になってジャケットの画像が表示できるようになった。これは面白いですね(奥さんのパソコンで「このコンピュータではアルバムのカバーを見ることができません」という表示になるのはグラフィックのパワーが足りないのだろうか)。iTunesのデータベースにない画像はアマゾンやアーティスト本人のサイトで探して集め、パラパラパラっとジャケット画像を眺めていると本物のCDラックを見ているような錯覚に陥る。歌詞や演奏者などの情報は紙で持っておきたいような気もするが、CDを買わなくなる日も近いかもしれない。
ところでバージョンアップといえばグーグルアースも3Dになって面白さが倍増した。宇宙空間に浮かぶ地球の映像から自分の家まで一気にズームしたり、飛行機に乗ったように視点を移動したりできる。面白いついでに、旅行や出張でいったことのある海外のホテルを全部探し出した。
かと思えば、この前新聞でセカンドライフというオンラインワールドが紹介されていて面白そうだったので、入ってみた。今は英語版しかないけど90日間タダ。クレジットカードを登録すれば、仮想世界で使える小遣いが毎週もらえる(僕はカードの登録はしなかったので無一文)。中で服をデザインしたりゲームをプログラムしたりしてお金を稼ぐことができて、それを現実のドルに換金することもできるらしい。入ってみて、面白そうな世界であることはわかったけど、時間も喰うし疲れる。日本語だったらもう少しラクかもしれないので、日本語版が出たらもう一回入ってみようかとも思うけど、まあ若いクリエイター向けかな。
セカンドライフ内でスザンヌ・ベガがやったライブのYouTube映像を見た。キャラの手がパーのままなのでギター演奏はちょっとムリがある。U2のライブ映像もどこかにある。
世の中は急速に「マトリックス」の世界に近づきつつありますね。なんか、赤い薬を飲んで外に出たいような気もする。
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