「原発・正力・CIA」 有馬哲夫 (新潮新書)2011年07月23日

友人が貸してくれたので読んだ。読売新聞社主で日本テレビを設立した正力松太郎が、CIAと組んで日本に原発を導入したというわけである。正力は日本のメディア王兼アメリカのポチだったのかと思っていたが、そういう単純な話ではなかった。

正力はCIAに対して単純に媚びていたわけではなく、CIAを利用してアメリカの力を使ってテレビ局を作ったり原発を導入したりしたのだ。CIAの方は読売新聞の世論への影響力や取材網から得られる情報を利用したかったようだ。

正力は元々警察官僚だったが失脚し、読売新聞を買収して立て直し、巨人軍を創立し、A級戦犯になり、日テレを設立し、69歳で国会議員になった。そんな高齢で初当選してから一気に総理大臣になるために原発導入を手柄にしようとしたらしい。さすがに総理大臣にはなれなかったが、初代科学技術庁長官、初代原子力委員長になった。

電力業界の支持を受けた正力は民間で原発を運営することにこだわった。そのために、民間で運営するのに事故が起きたら国が補償するという原子力損害賠償法が作られた。その矛盾が今になって大問題になっているわけである。

正力という人のエゴのパワーは凄い。何か大事業を成さないと気がすまないのでエネルギッシュに動き回るが、いろいろと害毒も撒き散らし、後々の人まで迷惑する。まるで原発そのもののような人物だ。

「通貨を知れば世界が読める」 浜矩子 (PHP新書)2011年06月27日

時々テレビでお見かけする浜先生は紫の髪の毛で不機嫌そうな表情で辛辣なコメントをしていて、痛快である。仰ることがいつもクールで大局的で面白いので、ご著書を拝読する。

最近は日本国の財政状況悪化により円が暴落するだろうといっているエコノミストも多いが、浜先生は1ドルは50円くらいになるという。日本がどうあれ、ドルが基軸通貨としての役割を終えると、概ね半分くらいに価値を落とすだろうと予測する。

そういう予測にいたる前提として、金本位制とか基軸通貨について大英帝国くらいからの歴史を語る。僕はそういう経済史みたいな話にあまり興味が無かったのだが、語り口が講談風で分り易く、面白かった。

1ドルは高度成長期の360円から80円にまでなったのだから、80円が50円になっても不思議は無かろうという。僕も僭越ながらだいたい同じ意見である。そうなると、大量生産で価格競争をする輸出企業なんかは、もう無理だ。

「日本中枢の崩壊」 古賀茂明2011年05月30日

現役官僚が日本中枢の改革を訴える本。安倍政権以降の公務員制度改革を官僚がどうやって潰してきたかの暴露から、民主党の政治主導がうまくいかない理由の話が続く。だいたい報道されてきた話のとおりだが、官僚側からの視点で詳しく解説されていて興味深い。それから改革派経産官僚としての筆者の仕事の振り返りになると「官僚たちの夏」そのもので面白い。

最後に今後の日本の「起死回生の策」というのがあって、なるほどと思うようなことも書いてあるのだが、TPPに参加せよと言っていてガックリ。まあよく考えたら、みんなの党に代表されるように行政改革に熱心なのはほぼ新自由主義的な人だから別に驚くことではなかった。

著者略歴に「参議院予算委員会で仙谷由人官房長官から恫喝を受ける」と書いてあるのがおかしい。

「心を整える」 長谷部誠2011年05月23日

サッカーは日本代表の試合しか見ないので、長谷部選手のことを詳しくは知らないが、マジメそうな印象がある。本を読んでみても、そのとおりだった。ハセベは「突出したテクニックを持っているわけでもない自分が生き残って来られたのはナゼか」と時々考える。周りからはよく「運が良いね」と言われる。でも、それはちょっと違う。では何なのかと考えてみると、「心を整える」ということに尽きるのだという。

それでメンタルについての「自己啓発書」という売り文句が付いているわけだが、編集者がそういう体裁に仕立てているだけで、中身は自伝的エッセイである。心が落ち着いた状態でいられるように、いつもいろいろなことに気を配っていることがわかる。一日の終りに30分間、心を鎮める時間を作る。何が起きても心が乱れないように、常に最悪の状況を想定している。日本政府のエラい人たちにも見習ってもらいたい。

「あえて難しいと思った方を選択する」というのは岡本太郎と同じだ。長谷部君によると、難しい道ほど自分に多くのものをもたらし、新しい世界が目の前に広がるのである。僕はだいたい楽な方を選択するので、意見が異なるわけだが、器の大きさで負けていることは否めない。なかなかのナイスガイである。面白かった。

「村上春樹 雑文集」2011年02月17日

村上春樹のデビュー以来の未発表の文章やら受賞の挨拶やらを集めたもの。結構分厚い本だが、短い文章が多くて、当然ながらテーマも文体も一貫していない。音楽でいうとシングルB面集。あまり入り込めない。でもちょっとずつ読んでいくと、いろいろ面白いところもある。

心身の左右のバランスが崩れたときは、ピアノでバッハの二声のインベンションを弾くと良いという話があった。僕も高校生の頃に練習したが、左手がうまく動かなくて歯痒くなり、終いにはこんな左右均等な変な曲を作りやがってとバッハに腹が立ってきたものである。春樹さんはバッハのことを天才だが相当変な人だったんだろうなと書いているが、僕もそう思う。

「Sanshirō」 NATSUME SŌSEKI2011年01月21日

「三四郎」の英訳。訳者は村上春樹の英訳をしているジェイ・ルービン。ペーパーバックを開いてみると、最初に村上春樹による解説(Introduction)があった。内容は自分の若い頃の話がほとんどである。貧乏で読む本が無くなったので奥さんの持っていた漱石全集を読んだとか。奥さんは大学の卒論で漱石のことを書いたそうだ。ハルキさんが日本で一番好きな作家は漱石で、漱石の作品の中で一番好きなのはこの「三四郎」だとのこと。文学論的な解説も判りやすく納得のいくものだった。

「三四郎」を英語で読んでみようと思ったのは、村上春樹作品の英訳を読んだら日本語で読むのと違った雰囲気があって面白かったからだ。村上作品は何度も読み返しているから、知らない英単語が出てきても意味がすぐ判るのだが、今回は日本語で一度読んだだけなので、全然判らない単語がたくさん出てくる。そんなのはどんどん飛ばして読む。それは良いけど、話の筋も全然覚えていない自分に驚く。半年くらい前に読んだような気がしたのだが、過去のブログを調べてみると、2年前に読んでいる。

毎日寝る前に数ページずつ読んでいたら3ヶ月掛かった。最初に読んだ時より、かなり面白かった。細部がよく判らなかったので、日本語でもう一回読みたい。

「音は心の中で音楽になる」 谷口高士2010年12月01日

副題は「音楽心理学への招待」。音楽心理学というジャンルの様々な研究を広く紹介する本。僕が音楽について考えているいろいろなギモンに答えてくれた。

例えば、楽器の演奏によって喜びや悲しみなどの感情を表現し、聴き手に伝えることができるかという実験がある。それは可能だそうだ。テンポや強弱によって感情が伝わる。ただし、フルートで怒りを表現しようとしても、喜びになったりするらしい。

何度も聴いているうちに音楽の印象が変わる理由についての研究もある。まず、人間は刺激の複雑性が中くらいのときに最も快く感じるという「バーラインの最適複雑性モデル」を仮定する。同じ音楽を何度も聴くと、慣れて複雑さが減るように感じるわけだから、元々複雑度が大の音楽は聴けば聴くほど複雑度が中くらいに近づいて快くなる。逆に複雑度が中の音楽は聴いているうちに複雑度が下がってつまらなくなってくるわけである。この話は僕の芸術論にやや通じるものがある。

他にも好きな音楽を聴いているとつらい作業に長時間耐えられるとか、ややこしいことをするときには単純な音楽を好むとか、どうでもいいような役に立つような研究もあって面白かった。

 → ポピュラー音楽の聴き方

 → 他の音楽本の記事

「夢を見るために 毎朝僕は目覚めるのです」 村上春樹2010年10月05日

村上春樹インタビュー集 1997-2009。最近のハルキさんはエッセイを書かないし、期間限定ウェブサイトもやらなくなったので、分厚いインタビュー集が読めて嬉しい。

ハルキさん曰く、人間存在は2階建ての家である。1階はみんなで集まる場所。2階は一人になるための個室や寝室。地下室は日常使わないが時々入ってぼんやりするところ。更にその下に別の地下室があるのだが、非常に特殊な扉があって分かりにくい。普通はなかなか入れないし、入らずに終わってしまう人もいる。

その地下2階に何かの拍子で入ってしまうと、そこには暗がりがある。前近代の人がフィジカルに味わっていた暗闇で、その中をめぐると普通の家の中では見られないものを人は体験する。その体験は頭で処理できない。ハルキさんはその体験を物語にしているのだという。

今世界中で村上作品が読まれているのは、近代システムの崩壊によって前近代的暗闇を体験する人が増えているからではなかろうか。

僕は村上作品では「ねじまき鳥」までが好きで、それ以降のはどうもよく分からなかったのだが、ハルキさんによると「ねじまき鳥」までで『僕』的価値観の追求は終了したとのことである。そこから先は、連帯感のような新しい価値観を創りだそうとしているらしい。そう言われると少し分かるような気がする。

「The Professional」 ロバート・B・パーカー2010年08月01日

今年1月に突然亡くなってしまったパーカーさんの「探偵スペンサー」シリーズ37作目。1973年から大体年一冊のペースで続いていて、僕が読み出したのは1980年頃だった。同じ1973年に連載が始まった野球漫画の「あぶさん」と同様に、執筆時の同時代の設定である。あぶさんは今年62歳で引退したが、スペンサーはタフガイとしての現役最高齢記録を更新中である。

最近は読みたい本が無くなって困っているのに、パーカーさんまでいなくなったのは非常に寂しい。最後のスペンサーかも知れないと思って、寝る前にゆっくりチビチビと2週間くらいかけて読んだ。読み終えて調べてみると、まだあと2作残っているみたいなので楽しみだ。

「1Q84 book3」 村上春樹2010年04月18日

book1、2では知らない世界に連れて行かれていろいろびっくりしたが、今回は帰り道だから新しい景色に出会わない。この収束する感じは「ねじまき鳥」第3部のときとはちょっと違う。book1、2で膨らんだ世界が縮んで行くような話で、読むのが楽だった。

しかし例によって1回読んだところでは、書いてあることが判っただけで、その意味はよく判らない。作中の小説『空気さなぎ』のように、ただのファンタジー小説のように見えて実は社会的な効果を狙っているのかもしれない。あるいは、ユングの『塔』について書かれているように、個人の意識の分割と展開を示唆する曼荼羅として書いたのかもしれない。

今回一番印象に残った比喩は「長い貨物列車が鉄橋を渡り切ることができるくらいの時間をかけてようやく小便を終えると」というもの。