「ひとの目、驚異の進化」 マーク・チャンギージー2013年01月08日

人間の視覚能力についての研究で、4つの話題がある。

1、人間の色覚が発達しているのは、肌の色の微妙な変化を見分けるためである。肌の色は血中のヘモグロビン濃度と酸素飽和度の組み合わせによって様々な色合いに変化する。それらは、その人の体調や感情を示している。

2、人間の眼が頭部の前に二つ付いているのは、立体視のためというより、茂みの中で葉っぱの向こうを見通すためである。

3、人間の視覚が錯視図形で錯覚を起こすのは、現在の視覚情報から未来の状況を予測しようとする働きが自動的に作動するため。

4、人間の脳が文字をうまく扱えるのは、文字の形状が自然の中に現れやすい形状の組合せでできているから。

カジュアルな文体で内容もなかなか面白かったが、啓蒙書のわりに話が丁寧過ぎてややまわりくどい感じはする。もうちょっと簡潔にまとめた方が判りやすいと思うところもあった。

「独立国家のつくりかた」 坂口恭平2012年08月26日

この人は建築学科卒の建築家でもあるのだが免許は持っていないそうである。この人の建てる家は路上生活者が住んでいるような小さな家で、車輪が付いている。建築基準法によると、家というのは土地に定着しているものなので、車輪が付いていると家じゃなくて車両になる。だから建築士の免許が無くても建てられるし、固定資産税も取られない。

著者は別にみんなで路上生活者のような家に住もうといっているわけではない。この小さな家はホームセンターで資材を買ってくれば3万円でできる。では30万円、300万円掛けたらどれくらいの家ができるはずなのか。何千万円もする家というのは何なのかという問題提起である。

著者は近年原発問題にも関心を持つようになり、2011年3月3日に飯田哲也氏を呼んでインターネット番組を配信する。そこで飯田氏は福島県双葉町の原発に津波が来たら破壊されると警告し、3月12日に本当に原発が爆発した。著者は放射性物質の危険を伝えない政府は政府でないと認定のうえ、東京から実家のある熊本に移住し、そこで新政府を設立した。新政府首相官邸として借りた家に東日本からの避難者百人を自費で受け入れる。

著者の主張は現代の常識からするとかなりシュールな妄想のようにも見えるが、話を聞いてみると非常に深い思考と調査研究に基づいた考えであり、常識の方がよほどおかしいということが分かってくる。

「戦後史の正体」 孫崎享2012年08月15日

戦後の大物政治家で、何かの嫌疑で失脚したり検察に捕まったりするのは、田中角栄を筆頭とする田中派の系統ばかりだという話は、数年前からネット上でよく目にするようになった。そこまでは明らかな事実だが、その理由としては「田中派の系統の政治家は、保守本流を支える検察やマスコミにやられてしまうのだ」という陰謀論的な見立てが定番だ。

この本ではそういう見立てとほぼ同じことを第二次大戦の敗戦時に遡って、詳しく分析している。吉田茂の系統である保守本流の本質は対米追随であり、対米自立・中国重視の田中派系と常に争ってきた。つまり田中派系の政治家が検察やマスコミによって潰される慣行の背後にはアメリカの圧力があるのだという。著者は外務省国際情報局長という中枢にいた人なので、陰謀論で片付けられない重みがある。

戦後の政治史にあまり興味を持っていなかったのだが、この本は面白かった。日本の政治勢力は一貫して対米追随派と対米自立派に分かれていることが説明されている。自立派の政治家を狙う検察特捜部のルーツは、日本軍の隠匿物資を探してGHQ管理下に置くための組織だそうだ。つまりそもそもアメリカの出先機関みたいなものである。最近の陸山会事件の経緯などを見ていると、占領下に作られた日本の政治の構造的な弱点が、今現在もそのままになっていることがよく分かる。

「幻影からの脱出 原発危機と東大話法を越えて」 安冨歩2012年08月01日

原発事故が起きて大変なことになったときに、役人や学者や経営者や政治家がエラそうに無責任な言葉を垂れ流していたが、彼らの多くが東大関係者であることが明らかになった。彼らに共通する欺瞞的な言葉の使い方を東大話法と名付けて分析しているのが東大教授の安冨さんである。

東大話法と聞いてすぐに僕が思い出したのは、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」の主人公の敵役である東大卒の経済学者綿谷ノボルだ。綿谷ノボルは紛れもなく東大話法の使い手である。主人公の岡田トオルは綿谷ノボルについて「彼は短い時間の間に相手を有効に叩きのめすことができた。(略)しかし注意して彼の意見を聞き、書いたものを読むと、そこには一貫性というものが欠けていることがよくわかった。彼は深い信念に裏づけされた世界観というものを持たなかった。」と語る。

綿谷ノボルは東大話法の規則1「自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」や規則5「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」などによく当てはまるキャラクターとして描かれている。綿谷ノボルの少年時代にガリ勉を強要した父親は東大卒の高級官僚、母親は高級官僚の娘で、伯父は満州国に関わる陸軍官僚だった。つまり村上春樹は日本の官僚システムが再生産し続ける東大話法の権化みたいな人物を設定して批判的に描いているわけである。安冨教授は同じ問題を、実名と実際の発言を挙げて具体的に例証し、誰の眼にも判りやすいように分析している。

著者は田舎にカネを流すために多くの原発を作った政治構造を田中角栄主義と名付け、田中主義でもその否定の小泉主義でもない新しい政治理念を打ち立てる必要があるという。そのためには、今の世の中のどこがどうおかしいかを考えなくてはならないが、著者の考えでは「世界は発狂している」のである。これはグレゴリー・ベイトソンが言ったことで、具体的には第一次大戦を集結させるベルサイユ条約が欺瞞的であったことが始まりだという。

アメリカを中心とする戦勝国は懲罰的内容を含まない講和案でドイツに降伏を同意させたうえで、徹底的に懲罰的な講和条約を結んだ。その重い賠償に苦しんだドイツにヒトラーが出現する。ヒトラーは子どもの頃に父親から激しい虐待を受け、その復讐心を大人になってから全世界に向けた。

著者の結論は、最も大切なのは子どもの利益を最大限に考えることであるというもの。子どもは我々の社会の将来であり、我々の創造性の源である。そのとおりだと僕も思う。

その他にも日本社会の過去、現在、未来について、いろいろと新しい着眼の指摘があって面白かった。

「東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・歴史編」(文春文庫) 菊地成孔+大谷能生2012年04月09日

同じ著者による「憂鬱と官能を教えた学校」の続編にあたるジャズの歴史講座。単にジャズのスタイルがこういう風に変化していきましたという事実の羅列ではなく、アメリカの社会情勢やモダンジャズの「モダン」が表す近代化と音楽のあり方の関係まで、広く深く捉えた音楽史観で話をしてくれて、大変面白い。

この本を読んだおかげで、最近ほとんど聴いていなかったジャズのCDを探し出して聴いてみることになり、今まで何となく聴いていた曲の構成がよりクリアに聴こえて来るのが値打ちだ。

 → 「憂鬱と官能を教えた学校」

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「暇と退屈の倫理学」國分功一郎2012年03月16日

豊かであるはずの現代社会で、我々は自分のやりたいことが分からなくて退屈してしまう。忙しいのに退屈してしまったりもする。それはなぜか、そしてどうすれば良いのかについて考えている本。分厚い哲学本だが、語り口がカジュアルなので読みやすく面白かった。

我々が退屈するようになったのは定住するようになったからだという。人類が遊動生活から定住生活に移行することによって、生活に余裕が生まれる。それは日々の活動が単調になるということでもある。なるほどそのとおりだろうと思う。

筆者はボードリヤールを引いて、消費ではなく浪費せよという。消費というのは、「この商品は良い」とい情報を買うことである。情報だからいくらでも買えて、いくら買っても満足できないから消費には終わりがない。それに対して、浪費というのはモノをちゃんと味わうことである。モノを味わえば満足が訪れるから、浪費はどこかで終わる。我々が浪費ではなく消費してしまうのは、消費し続けてもらいたい生産者の事情に従っているのである。

僕は以前「退屈を楽しめばお気楽だ」と考えた。問題の捉え方はかなり近いと思うが、筆者は退屈そのものを楽しむことについては考えていないようだった。

「憂鬱と官能を教えた学校 バークリー・メソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史(上・下)」(河出文庫) 菊池成孔+大谷能生2012年02月25日

バークリー音楽院はポピュラー音楽の総本山みたいなところで、バークリー・メソッドというのは、ポピュラー音楽のコード進行とメロディーの関係を分析する和声理論である。僕が21世紀になってからフォローするようになった現役ミュージシャンはエスペランサ・スポルディングとコトリンゴなのだが、彼女たちは二人ともバークリー音楽院出身だ。

この本は現在の音楽産業界に流布しているバークリー・メソッドを中心に商業音楽の歴史について語る講義録。バークリー・メソッドの中身の説明をしながら、バッハの平均律クラヴィーアからMIDIに至るまで、商業音楽の歴史について縦横に語っていて、非常に面白かった。

最初の方の長音階、短音階とかトニック、ドミナントとかの話は中学校の時に音楽の授業で楽典をやったときにも習ったクラシックの理論だが、スケールが出てきてだんだんジャズになる。モード技法まで行ってマイルズ・デイヴィスのKind Of Blueの解説があるので聴き直してみると、ナルホドそういうことだったのかとよく判る。

後半はバークリーから少し離れてリズムの話が多いが、これも面白い。他にも僕がポピュラー音楽について断片的に考えていた諸々の事柄について、いろいろ教えられることがあった。

著者は単に無批判にバークリー・メソッドを紹介しているだけではなく、バークリー・メソッドを学んだミュージシャンがコードをどんどん複雑にしたくなることを「バークリー病」と呼んだり、商業音楽を作るためのバークリー・メソッドという教育法はそろそろ役割を終えたんじゃないかとも言っている。

この本に影響を受けて、拙著「ポピュラー音楽の聴き方」が生まれました。

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「村上春樹の短編を英語で読む 1979~2011」 加藤典洋2011年10月29日

僕は村上春樹の小説は全て熱心に読むのだが、短編はちょっと苦手だ。長編も短編もシュールで何を言っているのか分かりにくいが、長編は手がかりが多いから何度か読んでいるうちに何となく分かってくる。短編はヒントが少ないので、解答の無い問題集を解いているような気分になるのだ。

村上春樹の小説は謎が多いので、解読本もたくさん出ている。春樹さんは「そんなものを買うくらいなら、そのお金でおいしいものでも食べた方が良いです」とか言っていたが、僕も答えが知りたくて謎解き本を買ってしまう。そういう村上春樹関連本にはハズレも多いのだが、この本はかなり面白くて説得力がある。長編への言及も多く、村上作品全体への理解が一挙に深まったような気がする。600ページもある分厚い本で3600円もするので買うのをためらったが、充分値打ちがあった。

ただ、そんなネタバレというかカンニングペーパーみたいな本を読むことに意味があるのだろうかという疑問も残る。でも、この本を読んで面白がるのは、村上作品を愛読して自分なりに考えて悩んだ人だけだろう。自分で考えもせずに答えだけ解答欄に書きこむカンニングとは違う。自分で考えた答案の答え合わせみたいなものだ。

タイトルに「英語で読む」とあるが、英語はほとんど出てこない。

「うみべのまち」 佐々木マキ2011年09月28日

村上春樹の初期の作品のカバー絵を描いている佐々木マキのマンガ集。帯に村上春樹の推薦文みたいなものが書いてある。春樹作品同様、無国籍な感じの絵の雰囲気が面白い。ひとコマひとコマが、伸ばしたらポスターにできそうなくらいデザインされている。でもコマとコマの間の関連がよくわからない。ストーリーがほとんど無さそうで、めちゃくちゃシュールである。

僕は「ちょっとシュールなくらいがお気楽なのである」と考えているので、シュールな表現に対してはわりと好意的なつもりなのだが、この分厚いマンガ集を読んでいくうちにだんだん困った気持ちになってきた。シュール過ぎて、何が言いたいのかが10パーセントくらいしか分からない。手塚治虫は「作者は狂人だ、連載を止めよ」と言ったらしい。それは非寛容過ぎるが、もうちょっとヒントが欲しいところだ。

「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」 村上春樹2011年08月02日

春樹さんは最近あまりエッセイを書かなくなってしまった。その理由は、あらゆるネタを小説のために取っておきたいからということのようである。期間限定のウェブサイトも開設しなくなった。そのかわりテレビのニュースでスピーチ映像が流れたりする。

久しぶりのエッセイなので楽しみに読んだが、なんかカドが取れてマイルド過ぎるような気がする。言いたいことはちゃんと言っているのだが、なんか抑制された言い方になっている。昔の村上朝日堂シリーズにはちょっと突っ張ったところもあって、そこが良かった。昔と違って世界的に影響力のある人物になってしまったので、いろいろ気を使っているようだ。

でも、まあ面白いことは面白かった。もったいないので毎日少しずつ読んだ。近々読み返したい気もする。