日記2003年03月30日

阪神パークが今日で閉園になるというので、子どもたちと僕ででかけることになる。行ってみると人がたくさんいる。5年ほど前に息子とウルトラマン・ショーを見に来てから半年に1回くらいは来ているが、こんなに混んでいるのは初めてだ。息子は「なんで最後だけ来るねん、みんなもっと前から来てたら閉園にならへんのに」と憤慨している。でもまあ、最後だからみんな来ているわけである。

サル山には誰もおらず「おサルさんたちは韓国の動物園に行きました」という看板がある。いつもはガラガラのモノレールの乗り場に行列ができている。サイクルモノレールのところにはもっと長い列ができている。もう昼過ぎなのでまず弁当を食べることにしよう。座るところを探すが、どこに行っても家族連れが弁当を食べていてなかなか空いた場所が見つからない。一番奥の観覧車のあたりまで行くと日時計広場のベンチが空いていたので、そこでおにぎりを食べる。日時計によると、時刻は12時半頃のようだ。

キディコースターにも行列、ゴリラのフワフワにも長い行列ができているのでパスする。観覧車の前の広場を歩き回る動物の乗り物に娘が乗り、その後で観覧車に乗ることにする。観覧車は客の回転が早いのですぐ乗れる。僕が乗物券を買いに行っている間に、息子が知らない人から乗物券2枚をもらった。娘は観覧車に乗るのを恐がっていたが、乗ったら面白がった。センバツで盛り上がっている甲子園球場が見え、その後ろに六甲山が見える。大阪湾の海上を通る阪神高速湾岸線も見える。小さな観覧車なので、すぐ下に降りてくる。

展望台の途中にあるレオポンコーナーを見に歩いていく。行ってみるとレオポンコーナーは閉鎖されている。ちびっこホールで「阪神パーク73年の記憶」という展示をやっていたので入ってみると、レオポンたちがステージ上に並んでいた。子どもの頃に見たことのあるポスターがあって懐かしかった。ポスターの一番下のところに阪神のユニフォームを着た田淵がUCC缶コーヒーを持った広告が入っている。

娘がメリーゴーラウンドに乗りたいと言う。メリーゴーラウンドは1回にたくさん乗れるので行列は短く、あまり待たずに乗れる。レゴフリークの息子はレゴショップの閉店セールを見に行くが既に閉店していて、残った商品をキリン舎の横の売店で販売しているという張り紙がある。行ってみると売れ残りを半額で売っているが、息子が欲しいものは残っていない。キリンは天王寺動物園に行ったとのことなので、また見ることができる。我が家はしょっちゅう天王寺動物園に行くのだ。

子どもたちがもう一度観覧車に乗りたいというので、また歩いて行く。途中で象舎の裏を通り、象のフンの匂いを嗅ぐ。草食動物のフンはあまり臭くない。子どもたちに「象の匂い嗅いで、よう覚えときや」と言っておく。いろんな行列がどれもさっきよりずっと長く伸びている。観覧車はやっぱりすぐ乗れる。さっきと同じ景色を見ながら、なんで遊園地が廃れるのかと考える。小子化ということもあるのだろうけど、遊園地に来ているのは昔と比べて小さい子ばかりだ。今日見かけるのは小学校入学前と思われる子どもがほとんどだが、僕が子どもの頃は中学校くらいでも来たものだ。要するに昔は娯楽の種類が少なかったのだろう。

最後にサル山の隣の鳥小屋を見て帰ることにする。途中で大きなクスノキを見かけ、これは切って欲しくないなと話し合う。象の「きくこ」と「あきこ」の前にはたくさんの人がいてエサをあげている。前に来たときにもエサをあげたので、今日はバイバイとお別れを言うだけにしておく。象たちは千葉の「養老院」に引っ越すそうである。終身のエサ代4000万円を阪神パークが負担し、飼育係のおじさんも半年一緒に行くそうだ。鳥小屋にはサギやホロホロ鳥やニワトリやキョンがいる。カゴの中では若い女性の飼育係が地面のフンを熊手で掃いている。彼女の次の職場は決まっているのだろうか。

日記2003年03月06日

頭がとても痛い。とにかく起きて1階に降りる。奥さんと子どもたちが朝の支度をしている横で、コタツにもぐって寝ている。熱を測ると7度6分。このところ数日おきに熱が出て寝込んでいる。何か悪い病気じゃないのか。やっぱりそろそろ医者に診てもらうべきだ。引っ越してきてから自分の病気で医者に行ったことがなく、どこに行けばいいかわからない。電話帳を見るために台所へ行こうとすると頭がズキズキと痛むのでソロソロ歩く。食卓の椅子に座って電話帳を開くが、「企業名ハローページ」に病院は載ってないのだった。「企業名ハローページ」を棚に戻し、タウンページを持ってコタツに戻る。

タウンページはレイアウトがゴチャゴチャしていて、非常に読みにくい。頭が余計に痛む。しかも、うちの近所には病院が全然無い。よく見ると、大きい病院のページだった。「内科」の項を見ないとアカンのだと気付く。内科医院を探すと、近所に一軒あることがわかる。住所から場所を思い浮かべる。ああナルホドたしかにそこにある。その医者は広告を出していないので、営業時間はわからない。とにかく9時半頃に行ってみよう。

8時頃に家族みんなが出かけてしまう。しばらくして、何とか起き上がってパンをカジる。紅茶もコーヒーも飲む気がしない。もし飲みたかったとしても、いれる元気も無い。ジュースがあれば飲みたいが、無いので水を飲む。またコタツに戻って習慣的に新聞を読む。会社に連絡するために起き上がる。最近、休む時はメールで連絡するのだが、パソコンを立ち上げたりメールを打ったりする気力もないので、電話をかける。受付から転送してもらった先が話し中だったりして、職場の同僚に繋がるまでにとても時間がかかる。それがすむと、9時半くらいになったので、着替えて保険証を探し出し、出かけることにする。

自転車に乗っていると、道路の凸凹が頭に響く。交差点の信号が赤になりそうだったので、手前で横断してしまおうかと思ったが、機敏に動けそうにないのでやめる。おとなしく信号待ちをしていると寒けがして、時間の進み方がとても遅く感じられる。横断歩道を渡って100mほど行ったところに**内科があった。

待合室にはおばあさんが一人いるだけだった。受付に保険証を出して椅子に座る。エアコンの暖かい風が顔に当たって気持ち悪い。先客のおばあさんがクスリを受け取って帰っていった。つまり、診察を待っているのは僕だけなのだった。すぐに僕の順番が来た。30分くらい待たされたらツライなと思っていたので助かった。

先生は初老で恰幅が良く、ネクタイを締めて白衣を羽織っている。先週から微熱が続いていて時々熱が高くなるんです、と説明すると、歯は痛くないか、肝臓は悪くないか、オシッコは黄色くないかと確認される。ペンライトを当ててノドを見て、聴診、触診。インフルエンザはもう東京の方へ行ったからなあ。風邪で微熱が続くことはありますよ。便通はどうですかと訊かれ、ユルイですと答える。それじゃ消化のクスリも出しましょう。

さっき、おばあさんがクスリをもらっていたのを思い出す。ここは最近ハヤリの医薬分業じゃないのだ。良かった。これから薬局に行ったりしなくてすむわけである。クスリをもらって説明を受ける。細菌感染のクスリというのが出ている。自転車に乗って帰る途中、突然吐き気に襲われたが、何も出なかった。家に帰ってトイレで少し吐き、頭が余計に痛くなる。若い頃に飲み過ぎて吐いた時のことを思い出す。台所に行って水を飲む。「食間」のクスリ(胃腸用)を飲む。昔懐かしい紙包みの粉薬。

コタツで寝る。猛烈に頭が痛い。何もする気がしない。CDもラジオも聴きたくないし、本も読みたくないし、TVなんか全然見たくない。というか、頭痛に耐えるので精一杯。一度ピンポーンとインターホンが鳴るが、どうせ何かのセールスだから無視する。昼過ぎまでずっと寝ている。何か食べて食後のクスリを飲まなければならない。そうすればラクになれるのだ、たぶん。何を食べるかというと、お粥だ。誰かが作ってくれるといいのだが、自分しかいない。でも、頭が痛くてしんどくて立ち上がれない。全然ダメだ。

ダレかタスケてクレ~、という気持ちになる。よし、じゃあオレが助けたろ、と思ったらナゼか起き上がることができた。キッチンに行って炊飯器を開けるとご飯の残りがあった。これをお粥にするのはどうやるんだったっけ。よく分からないけど、とにかくご飯を鍋に入れて水を100ccほど注いで火を点ける。グツグツ煮えだしたが、お粥っぽくないので水を足す。後でもう一回水を足したらお粥らしきものができた。フリカケとゴマをかけて食べ、食後にクスリを飲んでまた寝た。

日記2003年03月01日

目が覚めたら10時だった。寝過ぎた。家族の朝食の時間を過ぎていたので、一人でパンを食べる。紅茶を淹れようとして、トワイニングのオレンジペコ(香りが良い)とフォートナム&メイスンのロイヤルブレンド(コクがある)を混ぜたらどうかと思い付いたのでやってみた。結果は、中途半端なよくわからない味になってしまって失敗。

大阪市立科学館に行くことになる。天気は雨。車でなにわ筋を北上、中之島の手前にある(昔は四ツ橋にあった)。駐車場はすいている。子どもは無料というのが良い。ただし、中のプラネタリウムは有料。館内の案内お姉さんはコンパニオン的な短いスカートの制服。大阪万博以来の伝統か? しかし、この雰囲気はデパートガールのようであるともいえる。館内アナウンスも鼻に抜けたデパート調。彼女たちはきっとデパートで研修を受けるのだろう。

エレベータで4階まで上がり展示を見て回る。周期律表があり各元素の実物が並べてある。元素の種類だけでいうと、100ぐらいあるうちの80くらいは金属なのだった。知らなかった。でも宇宙に存在する量でいえば、多分水素が多いんじゃないか。太陽だって大体は水素でできているはずだ。周期律表の真ん中あたりに「銅、銀、金」が縦一列に並んでいる。そうかキミタチは兄弟(姉妹?)だったのか。

いろんな発電方式を実際にやってみるコーナーがある。レバーを手で回して発電するというのを全力でやったらヘトヘトになる。ガイガーカウンタ(放射線測定機)があり、花崗岩や昆布といった身近なモノでも放射線を出していることがわかる。自然界にある物質の中では放射性物質の割合が多いものを選んで置いてあるのだ。全般的に原子力に肯定的というか親近感を抱かせる展示になっている。健康診断で受ける胸部X線の被曝量はニューヨーク東京間フライトによる被曝量増加(高空では宇宙からの放射線を受けやすい)と同程度なのだという。休憩用のベンチにアインシュタインの像がいて、子どもたちが隣に座ったのでデジカメで写真を撮る。

時間が来たのでプラネタリウムを見に行く。今夜の大阪の空というのを見る。一番星は金星に決まっているのかと思っていたが、今の一番星は木星だそうだ。土星も見えるらしい。オリオン座の三つ星から西にたどっていくと「♪風の中のスーバルー」の昴があるということも知る。その後、太陽系についての映画みたいなのを上映。僕は子どもの頃、遠い宇宙のことを考えると深い井戸をのぞいた時のように恐かったが、子どもたちは別に恐くないようだった。

プラネタリウムを出ると2時前になっていた。お昼がまだなので喫茶室に入る。僕はカツカレーを注文。子どもがサンドイッチを食べたいというので、辛子を抜いてもらえますかと訊くと、もう出来ているのでそれは無理ですといわれる。なるほど注文して1分くらいで全てのメニューが出てくる。食後にコーヒーが飲みたくなるが、どうせ煮詰まったようなのが出てくるだろうと思ってやめる。

またひととおり見て回り、いろんな科学実験をする。5万ボルトの放電を自分でやるのは迫力があった。ブワーンと音がして電極が焦げる臭いもする。面白いなあ。僕が普段やっている仕事は科学実験とそんなに無縁でもないのだが、「宇宙」とか「5万ボルト」というような迫力のある世界ではない。帰りがけに売店(正式にはミュージアム・ショップ)で息子が宇宙食(フリーズドライのタコ焼き)を買った。駐車場代は1200円だった。

日記2002年12月15日

大掃除初日。いい天気で久しぶりに暖かい。掃除日和だ。奥さんが作った分担表に従い窓を拭く。車の窓ガラス用の油膜取りスプレーを使ってみる。大きな窓の両面を20枚くらい拭いたら肩が疲れた。四十肩にならないか心配になる。

ダイエーのCD売り場のサービスカード1000円分を今月中に使わなくてはならないのと、今日はOMCカードで5%引きの日なので、家族でダイエーに行く。最近、お客さんが多いので食器を買い足す。茶碗、とんすい、れんげなど。抹茶を点てるのに使っていたミルク泡立て器が割れてしまったので探すが、無い。

CD売り場に行き、MISIA、オレンジ・ペコ、タツロー、ブリリアント・グリーンのCDを買う。勘定を済ませると1ヶ月有効の「10%割引券」をたくさんくれる。それなら4枚もいっぺんに買うんじゃなかった。今後1ヶ月の間に邦楽CDを買うとは思えないし。洋楽はタワレコで輸入盤を買うし。

奥さんが食料品を買っている間に衣料品売り場へ行き、防寒下着の上下(スパッツと長そでTシャツ)を買う。スキーの時に着るかもしれないし、寒い日は会社に着ていくのだ。五分丈スパッツというものも買う。スパッツというが、要するにパッチである。今日は「スパッツ20%引きセール」をやっててラッキー。ウールの靴下も買う。

酒屋に行って芋焼酎とキリン毬花ビールをゲット。一昨日、近所の焼鳥屋で芋焼酎のお湯割りを飲んだら非常に具合が良かったのだった。やっぱり冬は芋焼酎のお湯割りに限る(昔は芋焼酎のニオイが嫌いだったのだが)。

イベント広場のステージで和太鼓の生演奏が始まる。2拍4拍にタンバリンが入るという変なアレンジ。酒屋で抽選券を2枚もらったのでガラガラをしようかと思うが、僕より子どもの方が運が強そうな気がするので子どもを呼びに行く。息子と娘が1回ずつガラガラを回すが2人とも白い玉が出てはずれ。お菓子をもらう。

家に帰る。夕食はおでん。今日のおでんは上出来、うまい。子どもたちはダイエーの食料品売り場で試食のおかずを食べまくったらしく、あまり食べない。本日ゲットしたCDを聴いてみる。一番良かったのはブリ・グリ。デザートに柿を剥いてから包丁を洗い、水滴を払おうとして指を切ってしまう。あいたたた。痛いのは生きてる証拠。寝る前に芋焼酎のお湯割りをちょっと飲む。もう少しサツマイモの甘味がある方がいいな。

日記2002年12月07日

奥さんと子どもたちは知り合いの家でクリスマスパーチーということなので、僕はフリーの一日である。最近楽器屋に行きたくてしょうがないので、心斎橋に行くことにする。

戎橋商店街を歩いていると、ゲーセンの前で射撃ゲームをやっている男がいた。その青年は迷彩色の上下という格好でゲームの画面に向かって自動小銃を撃ちまくっていた。気分出し過ぎである。僕の前を歩いていた若い女の子も一瞬驚いてから笑っていた。青年の顔はすごく真剣そうなのだが、迷彩色は緑と黒のコントラストが強すぎて嘘っぽかった。

ヤマハはパスして三木楽器に入る。北側の出入り口のところは昔パーカッション売り場だったような気がするのだが、今はDJ用品売り場になっていてレコードプレイヤーがたくさん置いてある。中をひととおり見て周り、隣のloftの上にあるイシバシに移動する。イシバシの方がエレキ・ギター関係に力を入れているようだ。アコースティック・ギターやドラムは三木楽器の方が充実している。

三木楽器に戻ってドラムのブラシを買う。最近は金属ワイヤじゃなくてファイバー製のがあるのだった。袋に書いてある能書きを読むと、ファイバー製ブラシは「折れ曲がらない、ヘッドを傷めない」とのことである。ロック用(へヴィ)とジャズ用(ライト)があったので、ジャズ用にする。

輸入物アコギを見る。奥田民生愛用のマーチンD35、D28、ギブソンB25を探すと、D28新品があった。他にもめっちゃたくさんウン十万のギターが並んでいるが、僕が高校生の時に友人から4万円で買ったヤマハL5とはやはり音が違うのであろうか。奥田プロのアコギは'60年代後半製造のものだが、僕のギターも'77年くらいだから結構年代モノである。とりあえず弦だけでもいいやつに張り替えてみよう。

そういうわけで、アコギの弦を買う。マーチンの一番いいやつとクラプトン愛用のやつを選ぶ。高校生の頃は一番安いのを買ったものである。金があるって素晴らしい。といっても、一番いいやつで1500円くらい。20年以上経ってるのに弦の値段は変わっていないのだった。エレキの弦2セットと、スプレー式じゃないフィンガーイーズみたいなヤツも買う。

エレキ用エフェクタを見る。ちっこいマルチ・エフェクタでもあれば買おうかと思ったが、とりあえずやめる。キーボードのコーナーに行くが、一時はやったDTMは下火の模様。やはり自分で演奏する方向に回帰しているのだろうか。

腹が減ったなと思いつつ小雨の中をアメリカ村の方へ歩いていく。ビッグステップの「ザ・丼」で「やまかけシャケとろ丼」を食べる。大盛りにすればよかった。周りは年齢が僕の半分くらいの若者ばかりで、自分がひどくオッサンになった気がする。3分くらいでさっさと食べて席を立つ。外に出てタワレコに向かう。途中でBEAMSに寄ってみる。ペラペラした感じの赤い皮のコートがちょっと気に入ったが、オッサンには似合わないような気がする(というか着る機会もない)ので買わない。茶色い裏皮の靴も気に入ったがやめる。これは今度行った時にあれば買うかもしれない。

タワーレコードに入ると売り場構成が変わっている。ジャズの階とクラシックの階が合併して、空いた階にブラック&ソウルが独立した。ジャズは過去のレコードがひととおりCD化されてしまったところで需要が一段落したのだろう。プリンスの新譜とポール・マッカートニーのライブのDVDとAvril Lavigneという17歳女性ロック・シンガーのCDを買う。今日は20枚くらい試聴した。1階で小川範子のサイン会をやっている。

例によってジュンク堂に行き、橋本治「ひらがな日本美術史2」とロバート・B・パーカーの新作ペーパーバックを買う。難波駅に戻る途中、高島屋の前には待ち合わせの人がいっぱいいる。12月だし土曜の夜だしな。でも僕にはカンケーないのだった。半日歩き回って足が疲れた。

日記2002年08月31日

朝起きると、あまり気分が良くない。パンとコーヒーの朝食の後、夏休みの工作の仕上げ。息子が先週作った紙粘土の恐竜に色を塗るのを手伝う。盆休みに行った恐竜展のチラシを見ながら色や柄を考えさせる。絵の具の混ぜ方や筆の使い方がいい加減なので、厳しく指導する。

午後、息子が昼寝をしている間に自転車でホームセンターに行き、透明の水性アクリル塗料を買ってくる。水性なので絵の具が滲むかもしれないが、そおっと塗れば大丈夫だろう。塗ってみるとやっぱりちょっと滲む。あまり刷毛を動かさないように注意して塗る。

夕方、一人で難波に買い物に出かける。難波から心斎橋まで御堂筋を歩く。暑いけど、イチョウ並木の緑が気持ちいい。大丸に入り、あるプレゼントの品を買いに売り場まで行ってみるが、無意味に高いブランド物しか置いてないので買わない。大丸を出て、タワー・レコードまで歩く。

知り合いの出産祝いにリクエストされた2枚のCDを探す。メモを見ながらロック、ジャズ、ソウルの棚を探すが見つからない。Jポップの階でオレンジペコのアルバムを買おうかと思うが、レジに5人くらい並んでいるのでやめる。もともと気分が良くないうえに、だいぶうろうろして何も収穫が無いので、ものすごく凹んだ気分になってきた。唯一の収穫は奥田民生の新譜が来月発売されるという情報。楽しみだ。

スポーツ・タカハシまで歩いていって、プレゼントの買い物。店員の女の子が丁寧に包装してくれる。ゆっくりだが確実に包装紙を折られていくのを感心して眺めていると、少し気分が和んでくる。昔ここで買ったナイキの短パンのお尻が擦り切れて穴が空いてしまったので、同じようなものが無いかと探すが、無い。

ジュンク堂まで歩いていく。途中に感じのよいカジュアルな和食屋があったので覚えておく。出産祝いリクエストのリストにあった絵本を探すが無い。いろんな棚を見るが、特に読みたい本も無い。村上春樹の長編が来月に出る(15歳と猫についての話らしい)という情報だけが収穫で、また凹む。

疲れたので喫茶コーナーに行ってイスに座り、前に一万円分の本を買った時にもらったドリンク・チケットでオレンジ・ジュースを飲む。エスカレーターで上がってくる人と向き合う席で、いろんな人を観察しながらぼおっとする。あちこち歩いている間にも思ったが、こんなに暑いのに僕みたいに短パンで歩いている人間はとても少ない。孤独だ。

あまりにも収穫が少なく、気分がどん底まで落ち込みそうなので、タワー・レコードに戻って出産祝いのCDをもう一度探すことにする。歩いている途中に「北極星」という洋食屋らしき店があり、その前に30人くらい並んでいる。「オムライス」と書いた幟が何本も立っている。僕だったらそんな店には並ばない。

タワー・レコードのロックの階に行き、メモを見せてCDを探してもらう。店員の女の子がパソコンで検索し、他の階に電話して在庫を確認してくれる。それぞれジャズとクラシックの階に2枚ともあることがわかり、従業員用エレベータで案内してくれる。親切にしてもらって収穫も得たので、だいぶ気分が回復する。

難波に来た時はまったく食欲がなかったが、随分歩いて(家に帰って地図で調べたら5.5キロ歩いていた)腹が減った。さっき見つけた和食の店まで行ってみることにする。途中、金竜ラーメンの前を通り、一度食べてみようかとも思うが、座りたいのでやめる。和食の店は団体客で混んでいたのでやめて、「かつや」に行くことにする。薬屋の前で白人の女の子が座り込んでいるのを見かける。動物キャラクターの置物と一緒に自分の写真を撮ろうとしていた。

「かつや」でヒレカツ定食と生ビールを注文する。定食にはどんぶり飯と豚汁とお新香が付いている。腹ぺこなのでガツガツ食べる。店を出てスターバックスの前を通り、中を見たら空いていたので入ろうかと思うが、お腹一杯で苦しいのでやめる。空いた電車の長イスに座り、タワー・レコードでただでくれる広告誌を読む。今日は自分のものは何も買わなかった。

日記2002年08月12日

奈良に遊びに行くことになる。奈良に行くのは20年ぶりくらいだ。大阪からJR大和路線で行けばいいのかと思って地図を見ると、近鉄の方がよさそうだ。玄関を出てすぐ、家の前の道路でダンゴムシを発見する。駅まで歩いている途中、娘と手を繋ごうとすると、さっきのダンゴムシを手に握っている。南海電車で難波まで行き、そこから近鉄奈良線に乗り換え。

快速急行という速そうな電車が来たので乗ることにする。電車の中で娘はダンゴムシを「クルリンちゃん」と命名する。生駒山のあたりで電車が坂を登り始め、急に景色が良くなる。北と思われる方向に高層ビル街が見えるが、どこなのか判らない(家に帰ってから調べると、そのあたりで線路は北に向かっており僕が見たのは西の方角にある大阪城の近くのビル群だった)

トンネルを抜けるとそこは田園だった。やっぱり奈良の風景はのどかである。娘がクルリンちゃんをシートの隙間に落としてしまうが、ママが助け出す。そうこうするうちに電車が地下にもぐって近鉄奈良駅につく。難波から35分くらいしかかからなかった。思っていたよりずっと近い。

近鉄奈良駅の乗降客はあまり多くない。はっきり言ってとても少ない。JR奈良の方がメジャーなのかもしれない。観光客らしき人々の多くが外国語を話している。韓国語と中国語がほとんど。駅の案内所で観光地図をもらう。奥さんと子どもたちがソフトクリームを食べている間に、東大寺行きのバス停を探す。観光客で混んだバスに乗り、3つか4つ目の停留所で大半の人が降りる。我々も降りる。

娘が我が家の前から連れてきたダンゴムシのクルリンちゃんをバス停のそばの地面に逃がす。鹿がいる。奥さんが売店で鹿センベイ(8枚くらいで150円)を2束買う。僕がセンベイをもらって鹿にやろうとすると、鹿にとりかこまれ、後ろから来たヤツに尻を噛まれる。奥さんはシャツの裾を噛まれてベタベタにされる。娘は腕を鼻で突かれて泣き出す。とにかくセンベイを配り終え、両手をパーにして見せ「もう無い、もう無い」と言うと、鹿たちはあきらめたようだった。子どもたちも、鹿が寄ってくると両手を広げて「もう無いヨ」と言っている。

しばらく行くとおとなしそうな鹿たちが地面に座り込んでいたので、子どもたちと一緒にデジカメで写真を撮る。アブラゼミの声を聞きながら東大寺まで歩く。子どもの頃何度か来た。小中高それぞれ1回ずつくらい来たような気がする。ここはやっぱりスケールがでかい。門もでかいし、左右に立っている仁王さんもでかい。アッケラカンとしていて、ユーモアすら感じる。太陽の塔にも通じるものがある。

20才くらいの女性2人組(のとてもキレイな方のコ)に大仏殿をバックに写真撮影を頼まれ、レンズ付きフィルムを渡される。完全に逆光なのでフラッシュをオンにしようとすると、既にオンになっている。奥さんによると、僕は写真を頼みやすそうな顔をしているのだそうだ。

大仏殿の建物も見ものだ。特に庇の裏側あたりの木組みは迫力がある。重機の無い時代にどうやってこんな建築が出来たのだろうか。中に入ると大仏はやっぱりでかい。左右の仏像もかなり大きい。大仏さん本人は普通の仏像と違って細部の装飾はあまり凝っていない。「細かいことはええやないか」というような大らかさが感じられる。大仏さんの周りをぐるっとまわって、お決まりの柱の穴を子どもたちがくぐる。小学校3、4年くらいの太った男の子がくぐろうとしたが、あきらめた。僕も小さい頃にくぐった記憶があるが、小学校低学年だったのか。

土産物の売店で娘が小さい鹿の置物、息子は「方位磁石付き、金の大仏キーホルダー」を買う。外に出て、若草山まで歩く。また鹿センベイを買って、今度は息子がトライする。鹿に追いかけられて、ほとんどのセンベイを投げている。最後の一枚は何とか手から食べさせた。地面に鹿のフンがたくさん落ちているなあと言うと、息子は木の実だと思って踏ん付けてたと答えた。

しばらく歩いてから、「浮游代理店」という喫茶店に行こうということになる。我が家を設計してくれた建築家の駒井貞治氏が設計した店なので、いっぺん見ておこうと思ったのだ。タクシーに乗って「浮游代理店」の場所が書いてある雑誌を見せると、運転手のおじさんはよくわからないので無線で聞いてみると言う。しかしその直後、おじさんは雑誌の記事に「月曜定休」と書いてあるのを発見し、今日は月曜やから休みやでと教えてくれる。しかたないのであきらめ、近鉄奈良駅まで行ってもらう。

商店街で食事をすることにする。和食の店に入り、僕は「大和路名物、冷やし茶がゆ御膳」を注文する。いろんな漬物なんかが付いていておいしいが、1400円は高いのではないか?

また近鉄に乗って帰る。電車の中で娘が寝てしまったので、近鉄難波から南海難波まで娘(16kg)を抱っこして歩く。家に帰ってから、娘がクルリンちゃんのことを想い出したと言って泣いた。

日記2002年08月03日

今話題のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行くことになる。去年5月に行って以来、2回目。あの時はとても混んでいて、一日中歩きまわって並び疲れて、ヘトヘトになった。しかも電車で行ったので、寝てしまった娘を背負って帰るのは大変だった。混んだ電車でウッディ・ウッドペッカーのヘリウム風船を2つ持って帰るのも苦労した。

今回は夕方5時から入場料が安くなるのを狙って行く。車で湾岸線を走って駐車場に入ると、とても空いている。少し雨が降っているが、涼しくていい。入場門のところで5時からのチケットを買おうとすると、それはローソンでしか買えないのだと説明される。JRの駅の方にローソンがあるのでそこで買って下さい。しかたがないので、奥さんが買いに行く。地球儀の前で待っていると、東アジア系外国人カップルに流暢な英語で写真を撮ってくれと頼まれる。

入場口に「ハリウッド・マジックは点検のため中止いたします」と書いた張り紙がある。火薬問題で花火ショーは行われない。多分その埋め合わせの意味でピンバッジをくれる。場内アナウンスで、5時以降、売店やレストランでソフトドリンクを無料サービスすると言っている。冷水器が使えないせいである。

中に入り、まず娘とウッドペッカーの写真を撮る。「ジョーズ」を見ることにし、列に並ぶ。途中、冷水器の前でミネラル・ウォーターを配っている。結構人出がかかっていて大変そうである。一杯いただくことにする。アトラクションの内容はディズニー・ランドのジャングル・クルーズ(だったっけ)とほとんど同じ趣向だが、音や水しぶきや炎がやたらと激しいところが違う。ジョーズの最期が息子にウケていた。

次はウォーター・ワールド。スタントが派手で面白かったが、音がでかすぎて、娘はずっと後ろを向いて僕にしがみついていた。外に出て歩いていると、セサミ・ストリートのキャラクターがいたので、エルモやクッキー・モンスターと子どもたちの写真を撮る。日本人の若いカップルに東京弁で写真を頼まれる。手渡されたレンズ付きフィルムでクッキー・モンスターと一緒に並んだカップルの写真を撮る。

歩いていると、あちこちでキャラメル・ポップコーンの匂いがしてくる。春巻きとビールの屋台があり、強く心を惹かれるが、何となく先を急いで通りすぎてしまう。ターミネーター(前説のお姉さんが早口で面白かった)を見て、ET(ディズニー・ランドでいうとスモール・ワールド?)の自転車に乗り終ると8時くらいになっていた。

腹ぺこだが、娘が去年見て今年も見たいと言っていたウッドペッカーのアニメ・セレブレイションに並ぶ。前説の兄ちゃんは新米らしく、去年の兄ちゃんに比べるとだいぶ下手だった。外に出て、奥さんと息子はバック・トゥ・ザ・フューチャーに、僕と娘はスヌーピ-・スタジオに行く。娘と20分くらい並んで(去年は1時間以上待った)ウォーター・スライダーに乗る。娘は速すぎて怖かったという。娘をスヌーピ-・スタジオで遊ばせて待っていると、奥さんと息子が戻ってくる。

気がつくと何も食べないうちに9時半になっていて、屋台もレストランも閉まっている。奥さんが子どもたちの友人用にお土産を買い終ると閉園時間の10時直前になる。外に出てそば屋でそばを食べ、車に戻って家に帰る。アトラクションは去年の3倍くらい見られたが、ゆっくり飲み食いするヒマもなくて疲れた。

日記2002年07月27日

和歌山県那賀郡の「青洲の里」なるところに行くことになる。放し飼いのカブトムシを捕まえられる「カブトムシの森」というのが目当てである。車に虫取り網や虫カゴも積み込んで出発。湾岸線から関空連絡道路に入って上之郷で降りようとすると出口がない。反対車線にはある。前に、あそこから降りたことがある。しかたがないので阪和道に入って貝塚まで行き、料金所を出てすぐUタ-ンして、また阪和道を走って上之郷に戻り、さっき見た反対車線の出口から降りる。

そこから峠道に入り和泉山脈を越えて和歌山県に入る。わりとすぐ紀ノ川沿いの平野部に出る。このあたりはどこもかしこも果樹畑だ。もも、かき、ぶどう等々。道路沿いのあちこちに「直売所」がある。しばらく行くと「青洲の里→」とか「医聖華岡青洲生誕の地」という看板が現れる。→に従って進むと真新しい村おこし施設に到着する。閑散とした駐車場の脇に例によって果物や野菜の直売所がある。

車を降りるとアブラゼミがジーっと鳴いている。クマゼミの「シャーシャーシャーシャー」より風情があってよいが、とにかく、ものすごく暑い。子どもたちが虫取り網を持っているのを見て、直売所のおじさんが「その坂、降りていったらカブトムシおるわ」と教えてくれる。降りる途中の斜面は花壇になっていて、様々なハーブが植わっている。「カブトムシの森」とは、林の一角10m四方をフェンスで囲い、天井部分に蚊帳を貼った場所なのだった。

中に入っていくと、飼育係?の兄ちゃんがいて、カブトムシの居場所を教えてくれる。飼育用のケースにたくさんいる他には2、3匹しかいない。兄ちゃんによると、ここでも飼育しているが、他からも取り寄せているとのこと。カブトムシはオス400円、メス200円也。入り口の横に置いてあるラジオから高校野球の和歌山県大会の実況中継が聞こえてくる。

カブトムシは帰りに買いに来ることにして、外に出る。登山道のようなものがあったので、登ってみると、すぐに広場に出る。わりと立派な神社がある。なぜか境内に鐘があり、奥さんが鐘を突く。しばらく散策して、元の道を戻る。娘がダッコダッコというのをなだめながら歩いているうちに、とうとう黙って座り込んでしまった。いつも大きな声で文句を言うのに黙ってしまったので、本当に体調が悪くなったのかもしれないと思い、ダッコして階段を登る。

この施設の中心の建物の中に入る。打ちっ放しコンクリート造りである。僕はコンクリートの匂いがあまり好きではない。テラス付きで天井が高くて明るいレストランに入る。ソーメン天麩羅定食とかお子様ランチを頼む。予想に反してちゃんとした料理で旨い。でも、量のわりには値段が高い。廊下に華岡青洲記念館の説明がある。華岡青洲(はなおかせいしゅう)は200年前、ここで世界初の全身麻酔による手術を行った。麻酔には漢方薬を使った。この建物のそばにその漢方薬の原料になる薬草が植えてある。それにちなんで様々なハーブも植えられているのだった。

ハーブの苗が売られている。うちの奥さんは最近ハーブ栽培に凝っているのでローズマリーの苗を手に取ったのだが、代金を誰に払えばいいのかわからない。奥さんは駐車場に戻って直売所でスモモ(5個100円)、トマト(小6個150円)、タマネギ(小15個100円)を買い、ついでにローズマリーの代金200円を払う。子どもたちと「カブトムシの森」に戻ってオスメス一匹ずつ元気そうなのを選んで買う(メスは翌朝には死んでいた)。腐葉土とクヌギの枝もくれる。ペットボトルのお茶を買って、車に乗り込む。帰りは無駄にうろうろしなかったので1時間くらいで家に着いた。

日記2002年07月07日

朝から暑い。セミが鳴いている。もう梅雨が明けてしまったのだ。気象庁が何と言うかは知らないが、僕としてはセミが鳴いたら梅雨明けである。午前中に大阪市内に出かけることにする。駅で新今宮までのキップを買う。買ってからJR連絡切符を買えばよかったのだと気付く。電車の窓からぼおっと外を見ているうちに新今宮を乗り過ごしてしまう。しかたがないので難波まで行き、精算して降りる。連絡切符を買ってなくてよかった。

どんどんいきあたりばったりな人間になりつつあるなあ、昔はこんなことはなかった、と思いつつ四つ橋線の難波駅に向かって歩く。いつもここから地下まで降りて御堂筋線の難波駅の手前まで行ってから四つ橋の方に曲がっていたのだが、よく考えるとそれだとすごく遠回りをしている気がする。今日は地上を歩いて四ツ橋筋に行く。

カバンを2つくくりつけたカ-トを転がしている2人組の女性が歩いている。制服こそ着ていないが、どう見てもキャビン・アテンダントな人たちである。交差点で追いついた時に見ると、カバンに某航空会社のロゴが付いている。関空からの帰りだろうかと思っていると、伊丹行きの空港バスに乗り込んでいった。四ツ橋線難波駅までは、地下を通るよりかなり近かった。

四つ橋線は空いている。1つの車両に10人くらいしか乗っていない。冷房が効きすぎて短パンだと寒いくらいだ。僕の隣(といっても5mくらい離れている)には口ひげをはやしたビジネスマンらしき外国人が座っていて、横文字の本を読んでいる。隣の車両にはいかにも観光客というカジュアルな格好をした白人のおばちゃん4人組が立っていて、すごく楽しそうに何ごとかしゃべっている。

肥後橋で降りて北に向かって歩く。僕は休日のビジネス街を歩くのがわりと好きである。車も人もあまり通らずガランとしているので、何となく古代文明の遺跡を観光しているような気分になる。実際、今となってはここに並んでいるでっかいオフィスビルたちは20世紀文明の遺跡みたいなものである。交差点のところに西洋人男性2人組が座ってペットボトルの水を飲みながら話をしている。交差点で右側の通りを見たらホテルがあって西洋人の観光客がたくさんいた。

彼らが20世紀日本文明の遺跡を観光に来たのでないとすれば何を見に来たのだろうか。大阪で外国人観光客を一番多く見かけるのは大阪城だが、それならここから近い。僕は万博公園に行って太陽の塔と民族学博物館を見ることをお奨めしたいが、そんなところに行く人は少ないような気がする。

堂島のジュンク堂に着く。雑誌「考える人」、橋本治「ああでもなくこうでもなく3」、エレイン・モーガン「人類の起源論争、アクア説はなぜ異端なのか」を買う。新刊の棚に岡本太郎「自分の中に毒を持て」(青春文庫)を発見する。僕はこの本を10年ほど前に買って読んだのだが、昨日本棚の前でなぜか目に付いたので読み返したところだった。こういうのをシンクロニシティというのか。

ジュンク堂の下のラバッツァでパニーニやらイタリアン・サンドイッチやらを家族の昼飯に買って帰る。帰りは梅田まで歩いてJRに乗る。座って本を読んでいると僕の荷物からトマトとモツァレラ・チーズのいい匂いがしてくる。周りの人は迷惑だろうか。でも、大阪の電車で「551の豚まん」のニオイがするのは日常茶飯事だ(横浜でシューマイのニオイがするようなもの)。それよりはマシだろう、と思うことにする。