国民審査2009年08月28日

総選挙のついでに最高裁判事の国民審査というのがあるが、あれで×をたくさん付けられてクビになった人はまだいない。投票日の翌日の新聞を見ると、いつも全員に1割くらいの×が入っているような記憶がある。どういう理由で誰を落とせばいいのかという情報が少ないから、投票に行った人の1割くらいが闇雲に全員に×を付けているのではないか。

今回はなぜか、国民審査でこの人(たち)に×を付けようという運動が少し盛り上がっているみたいで、そういうのを何種類か目にした。

1、外務官僚時にイラク派兵を推進した誰某

2、裁判員制度を作った誰某

3、国策捜査といわれる事件に有罪判決を出した誰某

4、元官僚で司法試験に通ってもいない誰某

5、1票の格差を認める誰某

などに関する罷免運動がある。どれにも名前が出ない判事は1人か2人しかいない。とにかく何人かは×だと思う。

総選挙2009年08月24日

民主党が大勝するらしい。300議席の勢いという報道もある。法律を作るという国会議員の仕事をちゃんとできる人が民主党にそんなにいるのだろうか。小泉郵政選挙のときのタイゾー君みたいなのが出てきそうである。採決のときの頭数だけの議員ばかり増えても仕方がない。

そもそも僕は多数決というシステムに懐疑的である。これまでの人生で僕の意見が少数派であったり、唯一人で反対意見を述べるということもよくあった。少数意見の方が正しい場合もあると思う。「12人の怒れる男」みたいに全員が一致するまで話合うというやり方は多数決より優れているのかもしれない。日本の国会議員は党議拘束がかかるので最初から多数決の結果が決まっていて、いくら議論をしても、一人また一人と賛否が覆ったりしない。政党なんか無くした方が良いのではないか。

そんなことをいっても、今の国会は政党の議員数による多数決で物事が決まる。このシステムで次善の状況は、少人数の政党が存在感を持つことである。多人数の与党が何でもやり放題というのは良くない。だから、比例区は小さい野党のどこかに入れようと思う。

FTA2009年08月14日

民主党はアメリカとのFTA(自由貿易協定)締結を推進するといっている。またしてもアメリカに日本市場を開放しようとしているのか。50年前の「官僚たちの夏」もそういう話だし、元祖は幕末の日米修好通商条約である。結局、この150年ずっと同じことをやっているわけだ。

これはダメでしょう。アメリカは自己破産したようなものだから、もう工業製品の輸出先として期待するべきではない。アメリカから農産物が入ってきて日本の農業が潰されるだけじゃないのか。

民主党の説明を読んでもよくわからない。「FTA交渉においては、農林水産物に関して米など重要な品目の関税を引き下げ・撤廃するとの考えを採るつもりはない」と書いてあるが、重要な品目以外は自由化するということだろうか。

日本はエネルギーを輸入に頼っているせいで、自由貿易の世界じゃないと困るという考えが根本にあるようだ。それなら江戸時代に戻れば完全に解決する。それは無理としても、輸入に頼る化石エネルギー消費を減らす方向に進むべきである。そういう意味では高速道路の無料化は止めた方が良いし、ガソリンの税金も下げない方が良い。

オリコン訴訟2009年08月12日

烏賀陽(うがや)弘道くんは「Jポップとは何か―巨大化する音楽産業 (岩波新書)」などの著書があるフリー・ジャーナリストである。彼は雑誌記事へのコメントに関連して、音楽チャートで有名なオリコンから恫喝的訴訟を起こされていた。地裁では負けたが、高裁では流れが変わって、オリコン側の「請求放棄」による烏賀陽側実質勝訴という結果に終わった。大企業が個人を訴えた末に逆転負けする過程は興味深い(→「うがやジャーナル」)。3年近く訴訟を抱えていたら生活は破壊されるし、ストレスも大変なものだったと思うが、勝つことができて何よりだ。

財源問題2009年08月03日

危機的状況に対処するための新しい政策を行おうとするときに、財源を問うのはナンセンスだ。その政策は危機的状況への対処なんだから優先度が高いのである。他のことは置いといて一番にやればよいだけである。限られた財源の範囲で優先度の高いことから実行していって、財源が尽きたら優先度が最も低い政策が実行されずに残ることになる。あとは、その政策を借金してでもやるべきかどうかという問題である。

とはいうものの、日本の国家財政の赤字は何とかしなくてはならない。政策の優先度とは別に、財政を立て直すための財源は必要である。そこで、まず税金の無駄遣いを見つけてストップしなくてはならないのだが、それをやろうとすると高級官僚の皆さんの退職後の収入に関わってくるので、少なからず抵抗があるだろう。

高級官僚の皆さんは若いうちは安い給料で寝ずに働いて大変なのであるから、この際、天下りを法制化する。ただし、天下り先は新設する特別天下り法人1ヶ所に絞る。そこに天下った人は何も仕事をしなくて良く、従来の特殊法人へ天下ったり渡ったりした場合と同じだけの報酬をもらえるのである。こうすれば、今と変わらない金銭的利益を得られるので、官僚の抵抗は起きない。一方、天下り用の特殊法人などに無理やり発注していた無駄な事業費が無くなるので、国の支出が大幅に削減される。

天下り官僚の報酬1億を生み出すために、10億から100億くらいは無駄な仕事を作っていたと思われる。したがって、特別天下り法人の設置により無駄な事業費の90~99%がカットできることになる。

マニフェスト2009年07月31日

manifestを辞書で引いてみると「積荷目録、乗客名簿」と書いてある。うーん、そういうもんなのか、と思いつつ周りの単語をよく見ると、manifesto「政党などの宣言書、声明書」というのがあった。今話題の政党マニフェストはこっちだ。

マニフェストの話題で思い出すのは、会社員時代に書かされた「成果目標」というヤツである。半年ごとにA3の紙に仕事の目標を具体的に書かされる。その目標の達成度がボーナスの額に影響したりするので、なるべく達成しやすい低い目標を書きたくなるが、あまり低い目標だと上司の承認がもらえない。そこは交渉ごとである。

僕の仕事は製品開発だったのだが、「これこれの新技術を検討する」とかいうのはダメである。「どういう品質でコストなんぼのモノをいつまでに開発する」などと具体的に書かなければならない。そんなこと言われても、新しいものを開発するんだから、できるかどうかはやってみなければわからないのである。それに半年間の仕事をそんな数十文字の目標の達成度で測るなんてナンセンスだ。あれは本当にイヤなものだった。

自分の成果目標を書くのもイヤなのに、部下にも書かせて面談をしなくてはならない。目標なんか立てなくてもちゃんとやるヤツはやるし、いくら目標を立てたってやらないヤツはやらない。そういうアホらしい制度があることも、僕が会社を辞めた理由のいくらかを占める。

会社員の成果目標はアホらしいが、選挙のマニフェストは大いに意味があると思う。そのマニフェストについて、実現可能性を問題にする論調がある。つまり目標が高すぎるのではないかという批判だが、これはおかしい。高い目標を設定するのは、後で批判されるリスクを負っているのだから本人の勝手である。後でチェックして、できていなければ批判すれば良い。後でチェックされない従来の「選挙公約」とは意味が違うのである。

我々はマニフェストの実現可能性ではなく、そこに書いてある政策の方向性に賛成かどうかで投票する政党を選ぶべきである。

政権交代2009年07月25日

今度の総選挙で「脱官僚」を掲げる民主党が勝つかどうかはまだ分からないし、民主党政権が順調に続くかどうかも不明だが、本当に「脱官僚支配」がうまくいったらすごい。そうなったら、50年続いた自民党政権からの政権交代じゃなくて、140年続いた官僚幕府が滅ぶというリボリューションである。

うちのトイレに貼ってある日本史年表を見てみると、140年というのは鎌倉時代と同じ長さだ。日本史年表では鎌倉時代の後、室町、安土桃山、江戸と来て、明治、大正、昭和と続くわけだが、百年後の年表では明治から平成21年まではまとめて「東京時代」になっているかもしれない。

この際、遷都をすれば時代区分がはっきりするのだが、遷都というのは中央集権の発想だからダメである。201X年、大阪府知事橋下徹の尽力により地方分権が確立し、日本は首都という概念を廃止するに至りました、というのが面白いかもしれない。廃都キャンペーンのゆるキャラは「はいとくん」。国会は毎年各道州に持ち回りで設置。初年度は関西州都の大阪WTCに置かれた。

三権分立2009年07月12日

日本の国家機構は司法・立法・行政の三権分立であると中学の社会科で習ったような気がする。しかし、ホントはそれがどうもうまく機能していないようだ。恥かしながら最近まで知らなかったのだが、日本の法律のほとんどは立法担当の国会議員ではなく行政担当の官僚の皆さんが作っているらしい。だから珍しく国会議員が作った場合にはわざわざ「議員立法」などというのである。じゃあ、国会議員が国会で何をしているのかというと、官僚の皆さんが作った法律を成立させる儀式をやっているだけだということになる。

司法の裁判官・検察官・弁護士は司法試験に受かった人がなる。行政の官僚は国家公務員試験に受かった人がなる。立法の国会議員は選挙に通った人がなる。司法と行政の担当者はペーパーテストで選ばれて、我々が直接選ぶことができるのは立法担当だけである。その国会議員が儀式をやっているだけではイカンではないか。これはつまり、日本国の国家システムの現状では一般市民がないがしろにされているということだが、ちゃんと立法の仕事をしない国会議員を選んできた我々の側にも問題がある。そこんとこは今後注意しなくてはいけないと思う。

三権分立の日本国において立法の担当者は遊んでいて、実際に権力を行使しているのは司法と行政の担当者である。その人たちは暗記物のペーパーテストで選ばれている。暗記物のペーパーテストに最も強い人が行くのは東大法学部である。だから現在、司法のトップである最高裁判所裁判官は15人中7人、官僚のトップである事務次官は14人中9人が東大法学部卒である。なんでそういうことになっているかというと、東大法学部というのが明治初期に官僚養成のために作られたものだからだ。明治維新以来、太平洋戦争の敗戦を経ても日本国の実態は変わっていないわけである。

現在の日本と世界の状況は全く先が見えず混沌としている。そこには正解と呼べるような答えは無さそうである。そういう状況で「正解のあるペーパーテスト」に強い人たちだけが日本の国家権力を行使していて良いものだろうか。結局、国会議員がもっとマジメに立法をせんとイカンのである。それと、司法試験や国家公務員試験に創造性や感性を評価する正解の無い科目を取り入れるべきである。以上2点をマニフェストに取り入れる政党があれば、僕は応援します。

麻生首相2009年06月22日

麻生太郎首相は支持率が低下して自民党内に麻生降ろしの動きも起こって苦しい立場に追い込まれている。そういう状況を生んだのはいうまでもなく麻生首相自身である。僕は麻生首相の就任当初から気になっていることがある。これはいかなるメディアにおいても指摘されていないようなので、僭越ながらここに発表するものである。

それは麻生氏が首相官邸だか国会だかで警備の人間を引き連れてテレビカメラの前を練り歩くときに見せる仕草のことだ。麻生首相は政治記者か衛視に向かって故林家三平師匠の「どうもスイマセン」をやるのである。じゃんけんでグーとパーのどちらを出したら良いか決めかねているかのように、軽く握った右手を右のコメカミのあたりにかざすのだ。僕が見た範囲では百パーセント毎回やる。

仮にも日本国首相ともあろうお方が毎日毎日テレビカメラの前を通るたびに「どうもスイマセン」をやるわけはないのであって、あれは敬礼であると推測するのが妥当である。敬礼だったら小泉純一郎氏のようにやればいいのではないかと思う。

あまり成果をあげていない麻生政権に比べ、小泉政権は亜熱帯性気候に属する夏季の日本列島から上着にネクタイという不条理な因習を追放した。これは他に類を見ない有意義な改革である。それだけのことを成し遂げた小泉氏はさすがに敬礼もビシッと決まっていたものだ。「俺はグーでもチョキでもなくパーを出すんだ、反対するヤツは抵抗勢力だ!」と言わんばかりに指先まで伸びた手をかざし、視線はテレビカメラを意識しつつも記者を正面から真っ直ぐ見すえていた。

麻生氏の場合は軽く握った手で記者だか衛視だかテレビカメラだかの視線をさえぎり、尚且つ念入りにも俯いて絶対に目を合わせないようにしている。そんなことではクール・ビズに匹敵するような重要な政策は実行できないだろう。

インフルエンザ2009年05月29日

考えてみると、僕はしょっちゅう風邪を引くのに、インフルエンザには20年以上かかった記憶がない。風邪というのは他人との接触が無くても身体が弱ったりすると自分の中にいる黴菌が暴れて発病するが、インフルエンザは他人との接触によって感染するものである。

インフルエンザの予防にはマスクより手洗いの方が有効であると思う。更に、手で何かを触ることに気をつけることも大事なのではないか。僕は昔から公共の場所でモノを触ることには注意している。ドアの取っ手、手摺り・吊革、エレベーターのボタンなどは、できれば手で触らずに肩で押すとか、他の人が触らないようなところを持つとか、指で押さずに手の甲で押すようにしている。絶対そうすると決めて神経質になっているわけではないが、大体そういう習慣になっている。

ところで、野球場の風船飛ばしが無くなったのは良いことだ。あれは壮観だと思うし、僕もやることはあるが、やっぱり不衛生だろう。ゴミも出るし、今後も復活しないでもらいたい。それと、ラッパ演奏もやめてはどうか。僕は高校生のときに数ヶ月だけコルネットの練習をしたことがあるが、ラッパというのはものすごく唾液が溜まるのだ。だから唾抜き用のフタまで付いている。ラッパの先からは音と一緒に唾が飛んでいるのである。インフルエンザ感染防止のためラッパの応援はやめましょう。